今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

エマージェンシーな状況は現実に降りかかると・・・


 Oヘンリーの短編小説の朗読をNHKで連続して放映されていたことがあった。Oヘンリーは大好きな作家なので、よく見ていたのだが、その中に、プールバーの話があった。題名はよく忘れてしまったのだが・・・プールという言葉をそれで覚えた思い出があるからその単語が入っていたことは確実だ。プールといっても泳ぐばかりでなくビリヤードの意味合いがあるということを。


 要旨はよく覚えている。


 ある男がプールバーに毎日のように通っていた。妻を置いて。それが彼の生活。しかし、妻がある時ふっといなくなってしまった。どうしよう、と戸惑う男。いろいろ考えた結果、いつも妻を放っておいてプールバーに行っていた自分が悪かったと反省しきり。帰ってきたらあんなことをしてやろう、こんなことをしてやろうと考えたりしていた。妻が帰ってきた、「遅くなっちゃってごめん・・・みたいに」。そうしたら男は普段通り、「出てくるわ」とプールバーに向かった。日常の歯車がいつものように回り始めた。


 そんな皮肉が入ったナイスな短編だった記憶他ある。


 夫婦生活慣れてくると、相手を大事に思う気持ちも薄れ、日常に組み込まれていく。そんな状況をうまく描き込んでいる。


 さて、私たちは・・・昨年の今頃は大変だった。結婚式を2週間後に控えて、妻が将来を考えられるかどうかという病状になり入院。やむなく結婚式を断念。昨年の10月はそんな時だった。それから毎日の病院通いで、一緒にさえいられるようになればいい。そんなエマージェンシーな状況では、前記の短編のような倦怠感は感じようがなく、退院後の結婚生活に入ってからも日常の歯車に倦怠感を持つことは決してなく相手を大事に思う気持ちは持ち続けられた。それは今でもそうだ。そのしゃれにならない現実の後だからこそ。


 だからといって、世のカップルに、こんな状況は決してお勧めできない。そんな状況は、「世界の中心で愛を叫ぶ」のようなフィクションでこそ感動的だし泣けるかもしれないが、実際に自分に降りかかる現実となれば、しゃれにならないのだから。それは、実感として分かる。


 エマージェンシーな現実はその時だけでよかったのだけど・・・