今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

人の前でお金を数えるのはちょっと・・・ "子ども手当に思う"

 なんか、最近は子ども手当が出るということで話題である。小さいお子さんのいる家庭ではうれしいことであろう。
 まぁ、うちは全く恩恵にあずかれないので、別にどうでもいいと言えばいいのだが、国債などの形で将来にその負債を繰り延べてしまう財政状況にも危うさを感じるし、終局的にば、今恩恵にあずかれていない私にしてもその負担を負わざるをえないことを思うにあまりうれしくもないことではある。

 そんな中、今日帰ってきて夕刊を広げたら、子ども手当の支給開始で現金支給で、幼児をだっこしながらうれしそうにお札を何枚も数える母親のアップ写真が目に飛び込んできて大いに違和感を持ったのだ。

asahi.com(朝日新聞社):子ども手当、支給始まる 富山では町職員が手渡し - 社会

 この記事である。幼児を膝の上に乗せながら何万円も数えている。富山県の朝日町というところらしいが、現金手渡しで二ヶ月分いっぺんに渡しているので、子どもひとり分で2万6千円であろうか。それにしても1万円札の束を見るに、子どもは何人かいると思われる。
 子どもをだっこしながらの現金支給は・・なるほど、子ども手当の支給シーンとしては印象的であるし、いいカットかもしれないが・・・

 私は小さい頃、お金・・特にお札を人前であまり数えるんじゃないと親から注意を受けてきた。
 幼き頃はそれに盲従していたが、成人した今、思い返しても、心理学的にも正しい事のように思える。
 お金を持ってることを見せびらかせば、それを奪おうと人に思わせるかもしれない。見せびらかしてお金が増えるならともあれ、そういうことはないのだから無用のトラブルを招く必要はない、他人の心にさざめきをたたせることはないだろうという点でだ。

 以前、宝くじの研究をしていたことがある、高校生の頃か。当選者は決して他人に言ってはいけないという鉄則があるのを知った。他人に言って悲惨な末路をたどった例も知った。これも同じようなことだろう。

 うれしそうに札束を数えているこの母親は何を思ってこの写真の掲載に同意したのだろうか?大手新聞社たる朝日新聞の夕刊で全国に流れるものだ。現にネットでだって見られる。これが見た他人にどういう感情の揺れをわき起こすか・・・想像したろうか?

 正直、あまり面白くも思っていなかった子ども手当の印象が一気に悪くなったことは事実だ。

 子どもと一緒に写っているのもどうなんだろうなぁ。母は強しということか、それとも一緒に写っている子どもが免罪符になるということなのだろうか。

 世間は子ども好きな人ばかりではないし、子どもがいるからととっとと帰ってしまう同僚のために残業を余儀なくさせられるシングルだっているし、産休・育休で穴が開いた部分を埋めるためのシングルなりもいるだろう。

 ひがみはひがみである。だがしかし、これは書いておきたいことだった。

 無用に札束を見せびらかさない方がいいと思う。あまり気持ちのよいものじゃない。