最近ね・・・Facebookとかのソーシャルネットワーキングサービス(SNS)で、自分を売り出すとかね・・・また、いろいろな情報発信が、SNS化してきて・・・例えば、「ぐるなび」とかもそうだが、情報発信サイトだったのが、SNSのクチコミの威力を狙ったのか、クチコミ掲示板的要素を取り入れているし、そのほかもどんどんSNS化してきている。
SNSより一歩前のメディアが、ブログで、言ってみれば、短いコメントが入れられるウェブ日記生成装置というとらえ方ができるが・・・
情報発信をするのに小難しいHTMLを覚えなくてもできるようになったというのが大きな所である。要は誰しも簡単に自分の表現を出せるようになった・・・しかも、写真なり動画なりでである。
私がインターネットに出会って、どうしても表現したくて、HTMLを覚えて、FTPの仕方を覚えて、ネットに表現を出し始めたのが1997年くらいである。その頃は、そういう理系的要素がネット表現には必要であり、誰しもができるわけではなかった。一部がんばった人が表現できえたところであった。
そんなとき、私が出したホームページが「もてない男の心の語り(もてない男のその後の語り)」というのものだ。これはこれでかなりのアクセスを稼げたし、日本でのネット草創期とも言える頃、かようなテーマは珍しかったらしく受けた。雑誌にも取り上げられたし、インタビューも受けたことがある。
しかして、それまで鬱積していた思いを語り続けるには少し重く、もう少し軽いものをと思ったところで、ウェブ日記的なシステムを使い始めた。自分だけが書き込める、掲示板的なものであったが。
そういう感じで、軽く書いていたのがウェブ日記であったし、大学院に行って研究としてウェブ日記を研究したりしていたのが、2004年頃である。
ウェブ日記コミュニティの現状についての研究
という論文をまとめたのもその頃だ。
その時師事していた先生に、その先生からウェブログシステムの紹介を受けて、自分でサーバーにウェブログシステムを仕込んだりしていたりして、ブログの世界に足を踏み入れた次第。
でもね・・・私としては、コメントがつけられるウェブ日記システムというもの以上には感じていなかったし、実は今でもそうだ。
借りている自分のサーバーエリアにMovabletypeを仕込んでいたが、段々重くなり、また、メンテも大変であったため、今はブログサービスの利用に至っているが、基本的に、コメントをいただけて日記の更新ができればそれでいいと思っているので、まぁ、それでいいかな。
でもね、私はウェブもけっこうな草創期から表現手段として使ってきて、ブログもかなりの草創期から表現手段として使ってきているので、一家言ある部分があるが、最近では、プロブロガーとかアルファブロガーと言われる方々が、ブログを飯の種とする方法として紹介する本を出したりしているので、それには違和感があるんだな。
確かに、一部、それで目立っていきたい人にはセルフプロデュースの手段としてブログはよかったかもしれない。
しかしね、大部分の人が、ウェブ日記なりテキストサイトなりで、本業を持ちながら、それでも手弁当で思うところを表現してきた長い歴史の中では、物のレビューとか、本の紹介とか、ライフハックの紹介とか、お金になりそうな部分でのブログの活用のみがブログというわけではないだろうと思うのだ。
本業を持っている人が、多分その本業はいやでいやで、でもお金のために辞められないという部分が多かろうと推測されるが、その有象無象を超えて自分の足跡を残すという表現手段としてのウェブ日記のひとつの手段としてブログがあるのであってほしいかなと。
大多数の人がブログでは食べていけない。ブログでもSNSでもいいのだが、それに過大なものを求めても仕方ない場合がほとんどだと思うのだ。
それでも、ブログはコメントがつけられるウェブ日記システムというものとしては役に立つ。
アクセス数がなくても、コメントがぜんぜんいただけなくても、語り続ける・・・この語りももう十年来続けているが、そのしつこさがウェブ日記の語り部として必要だし、要は好きだからやっていられるわけだよね。趣味じゃなきゃやっていられるわけないよ。