今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

夫婦でテレビ番組を共有できる場合、できない場合

 2015年11月13日の日記です。
 まぁ、結婚してからは妻と一緒に何かするということを中心に生きてきている。人生を共に生きるということで一緒に暮らしているからこそ、二人で一緒に何かしたいとは思う。まぁ、子どもがいないからということもある。
 しかし、まぁ、勤め人である以上仕事は一緒にできないことが多いし、私たちもそのご多分に漏れない次第であり、仕事以外のプライベートではなるべく一緒に何かしたいと思っている。

 家での主要な娯楽であるテレビ鑑賞もしかりである。二人で一緒に楽しめる番組を二人で見るというのがいいし、そういう番組を選んで二人の時間を過ごすのが幸せと言えば幸せ。
 NHKの朝ドラは二人で見てああでも内向でもないと批評しながら見るのは日課に近くなっている。

 ただ、二人で一緒に共有できないテレビ番組もある。私がどうしても好きで、妻が好きでないとか、その逆とか。
 その場合はそれぞれに見たいものを見るということになってしまう。私がパソコンに向かっていて、妻がテレビを見ているという形だったりする。
 
 初めは共有できなかったのにそのうち共有できることもある。かの「水曜どうでしょう」は、私が北海道にいたときから見ていたので初めは私が大好きだったのだが、妻はオヤジ達がダハダハ大声でしゃべっていてわけ分からないし好きではなかったようだ。これは共有できてはいない番組。それでも私が見続けていると、横目に見ていた妻が、段々その面白さにはまっていき、最終的に二人の趣味として共有できたという良い例である。

 共有できないが、見続けてしまっている番組というものもある。日曜日の一四時くらいにフジテレビ系列でやっている「ザ・ノンフィクション」という番組。
 妻はどうもこの重いテーマのノンフィクション番組は好きになれないらしく、テレビは娯楽なので、フィクションでも明るい方がいいということらしい。
 私は比較的重いテーマのノンフィクションは好きな方なのであるし、2005年8月の語りであるが以下のように語っているくらいで、かなり長い間好きだったする。
 今日の「ザ・ノンフィクション」 - 今日の一語り(はてな Ver.)
 まぁ、さすがに私でも疲れ切っていて、ストレスも多かったりするとわざわざ重いノンフィクションを見る気にはならないのだが、それでもきつい現実に立ち向かうための重いノンフィクション注入はしたいと思うこともあり録画をためて置いて見たりしている。
 しかし、妻はこの番組のテーマソングたるサンサーラが聞こえてくると、なんか、奥に行ってしまったりする。

 疲れて残業から帰ってきた今日、金曜日ということもあり、「ザ・ノンフィクション」を見ていたのだが、まぁ、同じような状況。まぁ、共有できえないんだなというところ。

 夫婦だったらなるべく共有したいのが心情ではあろうが、違う人間である以上全共有はできないわけで、共有できる部分は共有するという柔軟な姿勢で行くべきなんだろうね。
 先の水曜どうでしょうの例のようにそのうち共有できるようになるとベストであるが。