今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

子なし世帯の年賀状作りの憂鬱

 まぁ、年賀状は書く方である。
 しかし、以前のようにたくさん数を書くというわけでもなく、ほどほどに。
 正直、メールとかSNSとかが発達した今、近況報告としての年賀状の意味はかなり薄くなっていよう。
 「お元気ですか?」と伺う常套句も、私なんかはこの公開日記たるここを読んでいただければすぐわかろう。
 疲れてもいようし、楽しいこともある。イワシをたくさん釣っているのだって分かる。SNSで友だち登録をしている方ならもうちょっと多くのことが分かろう。たくさん、房総に行っているんだなとか、こんな店行っているんだとかね。
 しかし、WEBを使わない高齢者などにはやはり年賀状での年一回の近況報告は意義があると思うし、年賀状はレガシーだなんて言うつもりもない。立派な伝達手段であろう。

 しかし、年賀状作りは好きではない。
 なんかさ、年賀状では元気です!!!みたいなことを訴えないとだめだなぁという思いが、年賀状作りの嫌な点。
 そりゃ、元気であれば、元気ですみたいな、リア充アビールはたくさんできよう。
 しかし、人生思うように行ったためしがない。毎年のように元気です!!!みたいな年賀状を作っているけれども、それは嘘ついている部分もあるんじゃないかと思うとなんだかなぁ。
 子ども持ちの世帯の年賀状が子どもの成長記録なんじゃないかという子どもの写真だけの年賀状を作ったりしているのを見て、子どもがいない私はなんだか複雑な気分ではあったものの、前述の考え方からすれば分かるような気がする。自分たちは元気とは限らないけど、無垢に近い子どもは元気です!!!と無条件に言えるから。

 子どものいないうちの場合は、無条件に元気です!!!なんて言えない。中年迎えて疲れていますとか、鳴かず飛ばずで出世ともほぼ無縁ですとか、最近は特にテレビの俳優の名前がすぐ出てきませんとか、加齢に伴ったり、なんだか人生うまく行かず将来の夢も持てない時期になったとかで、負の部分の方が多いかも。

 だから、元気です!!!という年賀状を書くのは嘘ついているようでなんかいやだ。

 それが年賀状作りの憂鬱さなのかなぁと思った先日。来年の年賀状は実は完成している。妻と二人の共同制作。
 妻もさほど楽しんでいるわけでもないようで、似たような煩悶はあるようだ。

 まぁ、それでも元気です!!!と言っておかないと、そう、元気だったり幸せな時だってあるのだから、それを表に出して作る。それを送る。なんか、私的なことでありながら仕事みたいでね。