今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

朝酒がいいですねとは気軽には言って欲しくない

 先日朝酒をしましたと語ったら結構反響があった気がする。

 と言いつつ、朝酒は私はほとんどしたことがなかった。
 以前、休みを取って朝から開いている居酒屋に行って飲んでいたら、相席の方と意気投合してしまっていい調子で飲んでしまい、気持ち悪くなってしまったことがあり・・・朝酒をするなら気をつけようという反省もあったし。それから何年も朝から飲むと言うことはなかった。
 先日のは意を決して敢行したという表現がぴったりくるだろう。

 それなりに楽しかったが、朝から飲んでいると、もう出かけられないし呑み続けようかとなってしまって、昼寝後ももう一杯とかしていると、やはり健康的ではないかなぁとか思ってしまった。

 さて、今日語りたいのは朝酒いいですねとか気軽には言って欲しくないということ。

 私はもう人生を結構あきらめている。
 だから、一生懸命魚釣りをしたり、任天堂スイッチを並んでまで買ったり・・・そして朝酒をしたり・・。

 特殊であれ、普通であれ。矛盾した二つの押し付け - 今日の一語り(はてな Ver.) で語ったように、私は親からの押しつけもあり、かなり自分を律して生きてきた若かりし頃がある。

 今の小中学生が並んでまで買いたいゲーム機を買うために並んだり、魚を追って夜討ち朝駆けをしたり、朝酒をする・・・そんなやんちゃは、若い頃にしておけばいいのにという議論はあろうが、若い頃にそれをしてこなかったら、今やっている。

 人生を結構あきらめている今だからこそ、やっていいことだと思っている。

 そう、人生の消化試合だと思っているから・・・。消化試合でも、残りの人生、妻は養わなければならないな、となると仕事には行かねばならんのだろうな。そこが、あきらめてはいないところ。

 そう、人生捨てきっていては朝酒はしてはいけないと思う。人間として終わってしまうから。

 朝酒をして一時の陶酔感に身をゆだねても、月曜からは仕事に行くよ・・・こうじゃなきゃ、人間として終われるのは自明だ。

 朝酒文化があるのは私が京浜ベルトと呼んでいる東京、川崎、横浜、横須賀の海沿いにあると思われる。深夜勤務の土壌があって、深夜勤務の後の朝酒文化が醸成されたのだろう。
 朝から開いている角打なり居酒屋があるのはその名残だろう。

 しかして、どう見ても働いていないであろうと思しき高齢者がかような居酒屋・角打にたむろしているのを見ることもある。
 あまり気持ちよくはない。そこで毎日のように飲んでいるのは、人間として終わってしまっているように思うから。仕事という、いやだけど行かねばならないという枷がなければ人間はどうして酔いにまかせる陶酔感から立ち直れようか。

 だから、朝酒を語っていいのは、人生捨てきってはいないけど、人生かなりあきらめている人なんだろうなと思うんだ。
 
 人生充実していたり名声を得たりして満足している人は年齢にかかわらず、いい晩酌をして、高級バーで自慢をしていてもいいし、ゆっくりいいお酒を飲んでくださいねと僻んでいることを隠さず思う。

 たまには、朝酒をしてみようとは思うが・・・これからどんな心境で朝酒をしていけるのか、自分で自分を観察してみたいな。