田中正造を知りたし。そのように思った。
田中正造とは、日本史の初歩の初歩の時に学ぶ、日本最初の公害事件たる足尾鉱毒事件でその指摘をした議員であり、中学受験をする小学生は必ず覚える名前だろうし、中学生の社会科でも必ず学ぶ方である。
しかし、実際そのゆかりの地に足を運ばずにわかった気になってしまっている場合も多かろう。私も妻もそうだったのだが、知りたしと群馬県館林まで来てみたのだ。
館林は足尾からはかなり離れているが、渡瀬川の足尾に比べれば下流の方。鉱毒の被害が大きかった場所であり、田中正造が活躍した場所であり記念館があって初めて行けた。
とても良い勉強ができたと思う。
社会科の試験勉強で、足尾鉱毒事件でしょ?田中正造でしょ?とわかったようになっていてはいけないなと思わされた。
記念館があっても、田中正造は館林の出ではなく、渡瀬川を渡ってお向かいの栃木県の佐野市出身。亡くなったのも佐野市であった。と言っても、ほぼ、館林寄りの場所であるが。終焉の地も見られたし、田中正造のお墓がある場所にも行けた。
群馬県、栃木県にまたがってでも、公益のために動いた田中正造、そのすごさを体感できた次第。いい勉強ができた。これぞ本当の勉強だよね。歩いて感じて。