さて、田中正造の人生を追って、群馬県館林市から、栃木県佐野市まで来た。
そこで佐野ラーメンを食べたりしたのだが、そう言えば、日本史というか社会科の基礎の基礎を身体で体験しているたびになっている気がする。
田中正造は日本最初の公害事件である足尾鉱毒事件を提起した人物として社会科の基本の基であるから、私も妻も知っていたので、その生涯をたどってみてみたくなったのだ。
社会科の基本の基として、足尾鉱毒事件を日本の最初の公害事件として覚え、それに端を発する日本の四大公害を覚えていくということになろう。水俣病、イタイイタイ病、第二水俣病、四日市ぜんそくという4つ。水俣病が熊本の水俣、イタイイタイ病が富山県の神通川、第二水俣病が新潟県の阿賀野川、四日市が三重県ということを覚えるということになろう。
そういう社会科の基本の基として、今回の旅でまたまた出会ってしまった場所がある。
これもまた、社会科の基本の基である、日本最古の学校である足利学校があるではないかと思い立ち、行ってみた。社会科のお勉強では、日本最古の学校は足利学校と覚えなきゃいけないんじゃないかな。
ありました。「学校」と書かれていますね。
行ったのが閉まった後だったけど、中には入れなけれど、外から見られたので満足。
この中で、四書五経などの勉学がなされていたのかなぁとか思いを馳せた。
今回の旅は、田中正造と言い、足利学校と言い、社会科の基本の基巡りになっているなと思いつつ、小学校の頃、どっかの工場見学をしたりしながら社会科見学と称されるものに行ったしいい勉強になったが、今回はもういい年をした中年夫婦の大人の社会科見学になっておるなぁと思っている次第。