今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

映画「飛べないアヒル」を見た 〜映画で泣く〜

 今日はそれなりの時間に帰ってきて、メシでも食べ終わって、さ、何をしようかなとテレビ欄を見ていたら・・・映画「飛べないアヒル」がNHKーBS2で20時からやるのを見つけて、これだよーと見ることに。

 映画が3度の食事と同じくらい好きな私である。以前見た映画であろうと、何度でも見たい映画というのはあるものだ。いい映画がやっていれば、この一語りを書くよりもまず見る。

 この「飛べないアヒル」もなかなか泣けるのだ。

 以前、ちょうど2年前になろうか2002年1月28日の一語りにこの映画評してこんなことを書いている。

 映画「飛べないアヒル」というのを観たりしたが、泣けた。久々泣ける映画であった。アメリカのスポーツものの映画は泣けるものが多い。ロジックはシンプルながら、押さえるつぼはきちんと押さえているということだろう。

 ほんと、泣ける映画なのだ

(以下ネタばれあり)

 要するに、勝つことだけに執心していた若手のやり手弁護士である主人公が自分の交通違反の罰則として社会奉仕を命じられ、地元の弱小アイスホッケーチームのコーチを務めることになり、人生勝つことだけが意義じゃないと目覚め、ホッケー選手だった頃を思い出し・・・弁護士をクビになっても、自分のチームを優勝させ、自分もマイナーリーグからホッケー選手になっていくという話。

 すごく暖かいヒューマンなドラマだ。

 そして、最後のペナルティシュート(キーパーと1対1でやるシュート)のシーンで、チームの教え子チャーリーに「外したっていい、決勝まできたんだからすごいじゃないか」といったことを言うんだよね(それはその主人公自身、子どもの頃そのシュートを外してトラウマとして持っていたのを、チャーリーがそう言ってい主人公を励ましたのを返してあげたのだ)。そこでいつも泣ける。今日も泣けた。

 今現在なら、そういうロジックってあると思うんだ。

 2004年12月27日の一語りで映画「Mr。インクレディブル」を評する一環で次のようなことを僕は書いている。
 このご時世、アメリカと言えど単純なドリームを語っていられないのが現実だ。昔の経済でも負けなしのアメリカで世界の警察としてのスーパーパワーを誇っていたアメリカであれば、単純に強い正義を語った「スーパーマン」などの映画でよかっただろう。

 そう、このご時世では、あまりそんな夢見がちなことを語る映画は現実味がなくて敬遠されるし、その意味では、勝って全てなんていうことは言われなくなってきている。だから、滅びの美学である映画「ラスト・サムライ」なんかもアメリカでも大ヒットしたわけでしょう?

 でも1992年時点で、「負けたっていい」ってロジックを出してきているのが、この映画の泣ける部分なのだ。

 まぁ、最終的にはそのペナルティシュートをチャーリーは決めて大団円で終わるのが、まあ、いかにも1992年的というか・・・おめでたいのだけど(^-^)

 まぁ、とても面白い映画だし、今日も泣けたし・・・。