今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

修復できない浪費感


 貧乏人の私であるから、いろいろな意味で浪費感を持つことが多いわけだが・・・


 まぁ、昨日なんかは、ピザを頼んでしまったわけなんだけどね。これってかなり敗北感があるわけなんだよね。栄養学的にも外食に近いものであるし、繊維分が自炊に比べれば少なく、また、自炊に比べるとかなり割高であるからだ。そう、浪費感を感じてしまう感じだ。


 貧乏生活が長い私にしても、私の甲斐性がないばかりに私の稼ぎだけでは裕福な生活がさせてあげられていない妻にしても、自炊生活が長いわけであるから、ピザなんていうのは贅沢以外なにものでもないのだ。


 ただ、ピザも今のデフレ状況下ではものすごく安くなってきているのも事実だ。割引を組み合わせて3割引とかになるものだから、ついつい頼んでしまった。妻も今は働いているので、まぁ、お互い疲れきっていると、お互い自炊が出来る状況じゃない時は、ピザとかに頼ってしまう。 まぁ、稼ぎの意味では妻が働いているから許される贅沢ということで、最近は、浪費の罪悪感もピザに関しては薄くなってきている。まぁ、3割引ってやっぱり大きいから、割引がきくうちはまた頼ってしまうんだろうなぁ・・・などと思っていると、ピザはひとつ家事の外部化のひとつとして、浪費としてのくくりからは外れてくるかもしれない。だから、ピザに関しては浪費感は修復されていると言える。 


 だが、妻と共働きになってからも、どうしても浪費感が抜けないものがある。


 それは、タクシー。


 この前の、友人の結婚式に行く際も、お迎えのバスに間に合わずにタクシーになってしまって、それなりの浪費感があったし、共働きでもない頃に、終電で寝過ごして、最寄り駅を過ぎてしまって乗り過ごしたところからタクシーで帰ったら3000円くらいになって、マジで怒られたことがあった。もっともなことだ。非常に反省したものだ。


 そんな感じで、どうにも浪費感が抜けないタクシーはいつまでたっても慣れない。外国なんかでは、慣れない公共交通機関に乗るよりかは、タクシーの活用をとか旅行ガイドには書いてあったりもするが、どうにも乗れなくてねぇ。マレーシアに行った時なんかも、ほんと、地元のバスなんかを使いこなしちゃっていた。どこで乗るんだぁとうろうろしたり、英語で聞いたりしたり四苦八苦しながらもね。韓国でも、タクシーに乗るよりは楽だと、地下鉄を乗りこなしたし、台湾でもそうだったよなぁ。ニューヨークでも地下鉄を使いこなしていたし(NYではなかなかタクシーが止められないらしいし)。


 結局、修復できない浪費感がそこにあるんだよね。つくづく貧乏性だと思うよ。