今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

内向的でもいいと思う

 今日の、産経新聞のオピニオン欄に「誤解招く「内向的」の乱用に注意」という大学教授の投稿があった。
 何か事件等があると、おうおうにしてその事件の容疑者が「内向的」と評され、それはネクラとかすごく否定的な意味合いを持ってしまっていることを指摘して、それは間違っているという指摘であった。
 内向ー外向とはそもそも、ユングが使い始めた言葉で、元々の意味は、世の人々はおおむね内向、外向半々であり、内向的というのは「自分の中にしっかりとした内容や考えを持ち、それを基準に判断・行動する」という意味で、必ずしも悪い意味ではないとのことだった。

 考えてみればその通りだ。ユングの理論に触れたのはぜんぜん前のことだ既知のことであったことも事実だ。

 なるほど・・・目から鱗が落ちた。
 確かに、世間的な意味合いでは、内向的なのは忌むべきものとされてしまっている。
 でも、僕は、僕自身内向的と思ってきたので、一生懸命外向的な感じに努めたりしてきたが・・・それなりに疲れるし、仮面をかぶっている気分であったことも事実であったから・・・。

 この投稿を見て、内向的でもいいんだ・・・というか、それは僕そのものの性格描写としてはかっちりと来ると思った。

 だから、これからは世間の評を気にせず、内向的でもいいんだろうなぁと考えられた。

 でも、理屈はそうだと思っても・・・世間は多分冷たいことは変わらないだろう・・・内向的だから、彼女ができないのでは?結婚できないのでは?とか言われたりね。でも、それは気にすることでないのだろう。そう思える確固たる論拠を得た気分がした。