今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

いきなり来てしまったドラマ

ママ友のドロドロとした世界を描く「名前をなくした女神」・・・昨日が初回だったのだがマジでいきなり来てしまったよ。

妻はあまり見たがらなかったのだが、私が見たがった。

最近の日記を見ていただくとわかるが、私の楽しい語りを見にきていただいている方には本当に申し訳ないが、まるっきりダメである。

気分的にも身体的にも仕事もどん底。そうなると遊んだってそこまで楽しくない。

まぁ、これでもドロップアウトせずに長く生きてきていると、そんなどん底な時もままあったわけで、6年前くらいがそうだったかなぁ。そんな頃、親友が教えてくれた小説家である重松清氏の著作にとてもはまった。

というのも、重松氏の描く世界はとてもどん底で悪質系のストーリーが多かったから。

そんなのを読んでもっとめげるのではないかという向きもあろうが、そうではなかった。意外にカウンターステアになるようで、毒には毒をであろうか、ずいぶん救われた気分になったものだ。

どん底な時はバカみたいに明るいストーリーなんて良くない。だって、自分が惨めに見えてくるから。

となると、今回のママ友のドロドロした世界を描くドラマは私に必要なものなんじゃないかと飛びついたらはまりだった。

 自分がきついとき、誰かがめげているのを見るとカタルシスを感じるというのは心理学的にははっきりしていることだ。それを見たいがためにイジメルってのだってあるだろう。憂さ晴らしにイジメルっていうのはあることだ。
 でも、それってだめだよね。人に迷惑をかけて自分の憂さが晴れるってだめだよね。

 でもさ、架空のストーリーにおいてカタルシスを感じるのは全然悪くないじゃない。そんなわけで。