今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

出世しなくたっていいなんて、なかなか言えないものだよ

映画『アンタッチャブル』という映画が好きだ。

その中で、ショーン・コネリーさんが演じるマローンという警官がとてもかっこいい。

自分が平警官でいるのは、「心清らかな天使だったからさ」という、いかした台詞で自分がマフィアから賄賂を受け取らずマフィアの利便を図らず、よって出世もしていないことを表現していた。だから、主人公のエリオット・ネス捜査官の特別捜査チームに入るのだが・・・

しかし、その出世をあきらめ達観していたであろうマローン警官が、ほぼ同期であろう警察署長に・・・口論のはずみに、特別捜査チームに入っていたから制服をきていない姿について・・・「なんだその格好になって、情けない」という旨のことを言われてつかみかかる。

その描写から推すに、やはり、出世をあきらめ清らかに生きることを決めていたマローンにしても、世間的価値尺度ってのが無影響とは言えないのだろうなぁと思った。

人間中年にさしかかると、やはり出世っていう世間的価値尺度から無縁ではいられない。

自分は自分でいいんだよって言っていたって、親にとってはいつまでも子は子はだったりするわけで、我が子がよりよい社会的位置にいて欲しいとかいう部分があろうし、それを全く無視し切れるってこたぁないだろう。親の期待以外にも、いい子で育ってきた人ほど、がんばっているのに出世しなかったらフラストレーションがたまろう。

出世概念はサラリーマンの世界につきものと思われるがそうとばかりは言えないだろう。

自分の好きなことを研究しようと、研究者の道に身を投じたとしても、なかなか講師としての口がなければ食うや食わずになってしまうし、そうでなくても、自らの研究業績が認められずに、同期がどんどん准教授、教授になって行っていれば決して心穏やかとは言えないだろう。

要は、出世という世間的価値尺度からは切って生きるってとても難しいし、もしかしたらできないことなんではないかと思ったりしている。

でもさ、出世って・・・そんなに平等じゃない。この前、夜遅い電車で帰っているときに酔っ払った上司・部下が大声で・・・いろいろ話していて、あの人はごますりで上がったけど、自分はようやっとなったくらいなんだから・・・的なことを話していて、まぁ、そんなことはどこでもあるんだということを認識したり。

そう、受験戦争とか言うけれども、人の殺し合いたる戦争ほど理不尽さはなく、努力に比例しての結果が比較的公正に出るものだ。

私も無理に無理を重ねて大学に入ったけれど、それゆえ、その大学を出ているということで、妻の親から、それはある意味先入観としか言いようがないにしろ、いっときの安心感を持ってもらえたようなんだけど、だからこそ、その割にたいして出世していない今を振り返るに、なんだか情けない気持ちにならぬでもない。

しかし、出世ってそんなに公正な競争のもとにあるものとも思えないから・・・例えば、先日、甲種危険物取扱者の試験に合格した話を語ったけれども、公正な試験のもとでの国家資格とかを受けたりしているわけでもある。

出世なんかしなくったって、妻と楽しくやっていければいいのだが・・・そう言ったって、前述の警官マローンにしても至り得なかったかもしれない境地になかなかなれるものでもなく・・・

ちょっと出世したと思ったらやたら激務な今日この頃、その割に比べれば遅い出世だし・・・出世しなくたっていいなんて、なかなか言えないものだし、そう思っていたって楽できるわけでもないし、まことに世は生きづらきものよと嘆息してしまう次第。