先日こんなことを語った。
鎌倉幕府草創期の有力御家人 畠山重忠 の話だ。冤罪を問われ、鎌倉に向かいながら、息子を殺され、北条軍と対峙して討死したわけだが、御家人の鑑とされた。
その美学を語ったわけだが。
私はこの度、ある勝負に挑んだ。長年負け続けている勝負だし、自分の努力だけで勝てる勝負でないこともわかっているし、負けだなと思いながらも一矢報いんと勝負には挑んだ。
努力できる部分は最大限努力してね。
結果は予想通り敗戦。こんな結果かよというところ。
予定通りとはいえ、悔しいし、負けがわかっていて勝負に挑んだ事だけで一矢を報いたことになろう。
嘲るがいい、結局負けたじゃないかと。嘲る者は気持ち良いのだろうか。
一矢報いる、それは結局負けること。それは事実だ。
負けは予想していたが負けると悔しいね。でも畠山重忠の一矢報いる美学を知って少し救いだったのが今回。何度も負け続けてきてそれは思う。
負けても努力した私が尊敬できる夫だろ言ってくれる妻も救いだ。
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この勝負は長年負け続けてきているが、国家資格は数数えきれないほど持っている。
努力だけを評価する勝負では勝つこともできてきているのも救いだ。またその辺の勝負をしてみるか。
大いに頭にきた次第。
今電車で独り言で怒号を飛ばしている人がいた。同じような怒りがあるのだろうか。