電車に乗っていて座っていた。
あ、あの人きれいだなっ ていう女性が向かいに座ったので、見るともなしに視界には入っていたのは男性のさがというものだ。年の頃は私と同じくらいだと思えたから30代初めか20代後半かというところ。
家電量販店の袋をがさごそ開けていたから・・・デジモノオタクの私は、あれ?何が出てくるのかなって思って注目していたら、出てきたのはゲームボーイ。一心にやり始めたのだが・・・。
むむぅと思ってしまった。ちょっと幼いのではないかと・・・。私の胸の高鳴りが一気にさめた感じでもある。
いや、私もゲームにはまっていた時代もあった。今も、この一語りでもよく語っているクイズゲームにははまっているものの、家庭用ゲーム機やゲームボーイといったものからはとんと手を引いてしまっている。
幼少時はファミコンも買ってもらえなかったので、大学時代はちょっとスーパーファミコンとかに没頭して、離れがたいものだという意識を持っていたものだが・・・・。今は離れてしまっている。
加齢のなせる技か。年を取ったら不思議とゲームは好きじゃなくなっていた。
やはり、ゲームの生産性のなさが僕をそこに持っていったのだと思う。ゲームをやったって何ら生産的ではない。あえて言うなら指の動きがよくなるくらいだろうか。でも、やりすぎて腱鞘炎になってしまうのではこれはかえってマイナスだ(これは冗談ではなく、本当にはまりこんでやる場合は起こりがちである)。
それに気づいて、ゲームがむなしくなってきたのだ。今はまっているクイズゲームは、一応断片的な知識の増加という生産性があるからこそはまっているのかもしれない。あと、例えば、パソコン上のネットワークゲームなど人間関係が醸成されるという生産性を感じられるものに関しては今後もはまる可能性はあるかもしれないが。
現ゲーマーの方のご不興を買うことをおそれずに、元ゲーマーとしての立場からあえて言うなら僕の中では、ゲームからの卒業というのはひとつオトナへの階段の一歩であると思っている。社会人になると学生の時みたいには無尽蔵に時間はない。時間も貴重だ。その中で生産性というものに目覚めていくのだから。