昨日に引き続き、憲法の話題を考えてみたい。特に、戦争放棄について。
なるほど、現憲法は、戦後占領軍、特にアメリカの強力な指導に基づいて作られたことは事実だ。
初め、日本側に作らせた草案・・・松本案・・・は国体護持を強調した大日本帝国憲法と差がほとんど変わらないことから、GHQが急きょ作った案を元に現憲法は出来ている。
今回の改憲論議でもそうであるが、改憲推進を考える人は、その過程をひきあいに、アメリカからの押しつけ憲法であることを論拠にしたがるであろう。
しかし、初めから日本側に機会が与えられいなかったわけではない。まずは、松本案を作る機会が与えられていたのである。そこで、民主化にたる憲法草案が出来なかったこともまた事実なのである。
実際に、今、現憲法を見返しても、これほどすばらしい理念の憲法はほかにはないと思われないだろうか?完全なる戦争放棄を謳った憲法は。
戦争も東京大空襲で首都を焦土にされても、なおかつ降伏しなかった当時の日本。広島・長崎に原爆が落ちてようやく降伏に至ったきわめて保守的な当時の日本に、かくなる革新的な憲法を作る余裕はなかったであろう。
なるほど、過程としては、押しつけだったかもしれない。しかし、それは真の民主化に必要な押しつけであったことは自明であろう。では、松本案のままの憲法で今の日本の繁栄があったか?答えはおそらく否であろう。このような押しつけがなければ、日本の民主化は進まなかったことは事実であろう。
アメリカを中心とする連合国はとてもいい効果をその時点ではもたらしてくれたのだと思う。その点でこの押しつけは許される、むしろ感謝すべきだろう。
しかし、その後の、朝鮮戦争のために日本に再軍備を求め、その後冷戦のための浮沈空母として日本に再軍備を求めたアメリカの押しつけはよろしくない。これはまさしく押しつけであろう。自衛隊という軍隊を持つことが日本のためになっているだろうか?朝鮮戦争時に経済的には潤い景気がよくなったにしろ・・・今の自衛隊にかかる費用のコストを考えるに、微妙な話ではないだろうか。
だから、押しつけは押しつけでも、いい押しつけとあると思うのだ。
よろしくない押しつけにあわせて現憲法を変えるのはいかがなものか・・・その疑義を呈したのが昨日の一語りなわけで。