今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

広島原爆の日、思考する時間の大切さを思う

 今年も広島原爆の日がやってきた。

 それにしても、4月になってから職場が変わり忙しい。
 公が忙しく、残業も多く、私の時間が取れないと、どうしても土日が貴重になってくるし、私の時間を惜しむように使うようになると、思考をする時間が奪われている気がする。

 そんな、忙しいウィークデイを過ごし、週末に駆け込んだ今日。
 原爆のことを失念しそうになってしまった。8時15分はゴミ捨てに行っていたりしたような気がする。

 でも、その後のニュースなりで思いだし、原爆の犠牲者を悼むことができた。

 戦争・・・それは無益なこと。それは私がほかならぬ庶民の立場であるから言えることかもしれない。

 太平洋戦争にしても、得する人がいたから国策として進めた面は自明だろう。得するのは、マルクス経済学的に言えば資本家層と言えようか。
 現代の戦争にしても、経済的に得するからこそ戦争するという側面は否めずあることは自明だろう。

 資本家が庶民たる労働者を使うとき、あまり思考する時間を与えない方がいいということあろう。だからこそ、残業に次ぐ残業を課し思考する時間がなければ余計なことを考えないということにもなろうか。かの太平洋戦争では、「お国のため」の美名のもとに数々の人権侵害とも言える矛盾を庶民に課して、戦争によって莫大なもうけを得た層はいたに違いない。
 そんなように、人の生き死にをかけた矛盾を庶民に課する戦争というのは本当にむなしく、悲しいものだと断言できよう。

 広島原爆の日、その投下の時間、8時15分を忘れかけてしまった今日・・・仕事が忙しい、ストレスが溜まるということ・・・そして思考の時間がとれていなかったこと・・・それはなにか危険な感じがした次第。

 忙殺されて思考停止に陥るのは平和を維持するのにもっとも危険な状況ではないかと思った次第である。

 忙しい毎日ではあるが、これからも、思考の時間は持とう、平和について考え続けていこうと思った次第である。