今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

家飲みを語るには年を食うことが必要かも

 今日は都心の方へ用事ありて行く。

 混雑が苦手なのであまり行かないわけだが、東京生まれ東京育ちが聞いてあきれるというところであるが、まぁ、行く時は行く。

 まぁ、電車内で座れたのでやれやれと思いながら座っていたら、前に立つリクルートスーツらしき若者たちの話し声が聞くでもないが聞こえてきた。
 なんか、話が「家呑み」の話になり、「家呑みやばいよね」ということを言っていた。最近の若者はいい意味でも悪い意味でもとにかく「やばい」と言いがちだが、まぁ、この場合、家呑みはたくさん呑めるからいいみたいな意味であったようだ。

 そこで思ったのだ。なぜにそんなにたくさん呑む必要があろうかと。

 多分必要はないのだろう。でも、なんか酒のもたらす高揚感をずーっと味わっているためにも家で呑み続けるのがいい・・・そんなところなんだと思う。

 でも、社会に出ると・・・働き始めると・・・呑まなきゃやっていられないよという事象にたくさん出会うことになろう。

 そう言えば、先日旧知の友達に会った時にも、前にはそんなに呑む方ではなかったのに、かなり酒量が進む友がいて意外に思った思い出がある。
 思うに、それだけ、仕事を続けるというのが咲けと一緒に飲み下さねばやっていられないようなことが多かったんだろうなと思う感じであり、私にしたって、酒は飲める方だからこそ、呑まれる前に自重しようと飲酒週1回ルールを設けたりしているわけであるからして、それはそういうものだろう・・・社会に出るってそういうことだろうと。

 これから、社会に出ようとしている若者たちが、家飲みを語るのは少し早いかなと思わぬでもなかった次第。

 用事を終えて、これはかなり重圧を感じるものであったので、今日は焼き鳥屋に妻と二人で。

 それから焼き鳥屋でずーっと呑んでいると、高いので家飲みに切り替える。
 多分に経済的理由も大きい、中年の私であった次第で。