今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

大多喜の町歩きで思ったこと

 2012年の2月に大多喜城を見たという話を語った。大多喜城行ってきました - 今日の一語り(はてな Ver.)にあるとおりだ。
 この時、初めて千葉県は房総半島の大多喜町に行ったわけだが、もう夕刻近かったので城下町の町並をゆっくり見ることができなかった次第。

 それで、昨日、行った時・・・まぁ、夕刻は夕刻であったわけだが、町並をもう少しゆっくり見ようと歩いてみた次第。今回は一眼レフカメラを片手に町並散策。


 大多喜駅の近くのコンビニを見つつの大多喜城。戦乱の世では城は山の上の攻めにくい場所につくるものであるからして、なるほどという立地だろう。しかし、城というのは平時になると利便性の低い要害の地には置かれなくなり平地の平城になってくる。さすがは戦国時代から江戸時代にかけての徳川方の勇将 本多忠勝が初代藩主というところで、戦乱の世に建てられた城と思いを馳せられる感がある。今の世では、コンビニと城というユニークな光景にシャッターを切ってみた。

 渡辺家住宅という重要文化財。1849年に作られた江戸時代の代表的な商家造りとのこと。こういう感じの町並が広がっているのがすごい。小江戸的な感じを受ける。小江戸と言えば埼玉県の川越がすっかり有名だが、そっちが休日ともなれば人混みがすごいことに比して、こちらは非常にゆっくりしていていい。

 お寿司屋さんにしても風情があっていいのだ。


 戦乱の世、まっすぐに城に到達できてしまっては、防備面でリスクが高いため、このように曲がりくねった感じで天守にすぐに来れないように道をつくっていたということ。戦乱の世を生き抜いた本多忠勝らしい築城かと思いを馳せることができる。

 今の世では、車で通るにしてもくねくねしていて利便性が低く感じられるが、戦乱の世では実用的なものであったということだろう。

 しかし、勇猛果敢な武将として知られる大多喜初代城主の本多忠勝も、平和な江戸時代に入ると官僚派の家臣から遠ざけられたという(本多忠勝〜城と古戦場〜参照)。晩年は不遇なものだったのだろう。

 戦乱の世で必要だった曲がりくねった道も、平時にはやっかいなものでしかない。
 いつの世もその世の価値観に左右され、それは人の人生も同じで、波に乗るのがいいのか悪いのか・・・なんか風情のある町並と共に考えさせられるところで。

今週のお題「2013年のゴールデンウィーク