今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

やったね、北海道・駒大苫小牧高校、夏の甲子園優勝!!〜初の白河越え、津軽海峡越え〜

この感動をどう表現したらいいだろう・・・

南北海道代表、駒大苫小牧高校が優勝した。第86回全国高校野球選手権大会(2004年夏の甲子園)。

本当に、本当にうれしいのだ。思わず涙ぐんでしまうほどに。

白河越え・・・この言葉をみなさんは知っているだろうか?東北地方出身者ならたいていは知っているかもしれない。

夏の甲子園高校野球深紅の優勝旗が、白河の関以北には未だかつて行ったことがなかったという事実を指す言葉だ。

白河の関とは、これより先は陸奥(東北)であるという有名な関所である。そう、今日までは夏の甲子園の優勝旗がこの白河の関を越えたことがなかったのだ(栃木県・作新学院が最北)。

この白河越えのことを知ったのは、僕が小学生の頃だった・・・新聞を読んで知ったのだが・・・それ以来、夏になると必ず東北・北海道勢を応援してきた。そう、20年以上にわたって。

そして、くしくも僕はその後、学生時代を宮城県・仙台で過ごすことになった。いや、くしくもというよりは、もしかしたら白河越えを応援し続けてきた想いが影響していたかもしれない。

白河越えへの悲願は、東北を第2の故郷としたことで自分の血となり肉となったのである。それからはますます、東北勢を応援してきた。特に宮城県勢は強かった・・・仙台育英高校東北高校などなど・・・でも、今一歩届かない。

そして、これは本当にくしくもであったが、その後北海道は札幌に住んだりもしたのだ。札幌が第3の故郷になった。だから、東北・北海道勢を応援することは・・・もうこれは冗談じゃなく自分の悲願ともなってきていたのだ。

その証拠として、2003年8月23日の一語りでは、東北高校が惜しくも準優勝に終わったのを嘆いている。
2000〜2003年の4年間にわたっては、夏の高校野球を甲子園まで応援しに行っているわけだが、うち3年間の2000年、2001年、2002年においては、東北勢の試合を必ず見ている。そのレポートはこちら(2000年分2001年分2002年分)。2000年と2001年は青森・光星学院をライブで応援しているし、2002年は宮城・仙台西高を応援している。このレポートにも白河越えへのこだわりをいろいろ書いているのでよろしければ見てほしい。

こういう感じに、僕は、冗談じゃなく白河越えを四半世紀近くも切望してきたのだ。

だからこそ・・今回は、白河越えどころか津軽海峡越えまで成し遂げてしまった、北海道・駒大苫小牧の偉業は、本当に涙が出たんだ。

よかった・・本当に良かった。東北も北海道も両方住んでみた実感から分かるが、どちらも寒い・・・冬は練習しかねる場面も多いのだ。雪が振っちゃうからね。

なかでも、北海道の方はより苦しいものを感じた。雪がすごいのだ・・・これじゃハンデとしてはきつすぎるなという思いは住んでみて実感できたのだ。
北海道に住んでみた・いる人なら分かると思う、あの雪のすごさを、そして、雪が吹雪になった時の顔に刺さる雪の痛さを。

今は神奈川に住む身でありながらも、夏の甲子園では北海道・東北勢を必ず応援してきた。

そんな北海道から夏の甲子園優勝校が出た。真紅の優勝旗が津軽海峡を越えた。

これは本当にうれしい。おめでとう、駒大苫小牧高校!!

真紅の優勝旗を持って帰るのは、本当に辛苦の積み重ねだったことに違いないことは分かっているよ。おめでとう!!