今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

インターネットが人に与える影響の世代間格差ってあるよね?

 まぁ、僕はインターネットが大好きであるし、毎日インターネットに繋ぎホームページの更新とかをやっている。また、たとえ海外に行ってもネット環境を持ち歩きたいと思いつつノートパソコンは必携である。
 そんな私は俗に言う、ネット中毒もしくはネット依存症ではないか?と思われる方もいるだろうか。
 
 まぁ、そのへんはよくわからないが、中毒または依存症というのはその「量」的側面よりは、実生活にどれだけ損害がもたらされているかが問題なのであって、好きだけれども実生活にさほど問題がないという場合はこれに当たらないと見なしてよいものである。
 まぁ、酒は大好きで毎日飲むけれどもそれだけでアルコール中毒とは見なさないように、インターネットが大好きで毎日更新していてもただちにそれが中毒・依存症であるとは思われない。

 実際、インターネットに触れたての10年弱前の初めのうちは熱中して寝食ともに忘れるくらいではあったこともあるが、それはもう卒業し、インターネットがなければ落ち着かないというわけでもなく、重度の寝不足に陥っているわけでもなく通常の社会生活はおおむね送れていることを見ればさほど依存症・中毒状態ではないのだろうとは思っている。

 今、この問題に関して『インターネット中毒』(キンバリー・ヤング 毎日新聞社 1998)を借りてきて読んでみたりしているが、そのp.49〜51にあるインターネット中毒者テストをやってみると、41点で、40〜69点の方の「あなたはインターネットが原因となる一般的な問題を経験している。それが生活に与える悪影響についてよく考える必要がある」という判定であり、4段階で3段階の中毒度にランクされるわけで、まぁ、中毒ではないけれど気をつけなよと言うかなり自己感覚と一致する評定がでている。

 まあ、そういう客観的な尺度から見ても、中毒・依存症とは思わなくてもよいのであろう。
 
 インターネットが大好きで中毒に至っても全然おかしくはない僕が、それに中毒化しなくて済んでいる理由を考察してみると・・・やはり、僕がもともとインターネットもしくはコンピュータというインスタントに情報を得られる世界ではなく、旧時代的な、図書館に行き、文献を読み込み、もしくは新聞を読んで知識を得るというクラシカルなストラテジーで物事を知っていくという方法で基礎を身につけざるを得なかった世代であるからだと思うのだ。

 そのように手間暇かけて情報を得て考察していくという訓練を受けた私にとっては、インターネットはその手間暇を簡略化してくれる便利な道具として、そう、あくまで「道具」として見ていくことができるので、それに没入し依存するということがなくて済んんでいるのではないかと思っている。

 これが情報検索が容易なネット環境が当たり前の若い世代だとどうだろう・・・「道具」とは見れずに、ネット自体が自己目的化してしまうというか・・・ネット以外で情報を検索することができず、「ネットがなくては生きていけない」と中毒化してしまうことは考えられないだろうか?

 「切れやすい」「短絡的」が今の若者の特徴とも言えようが・・・この便利な道具が当たり前の情報社会が影響していないとは言い切れないのではないかなぁ・・・とも思う。

 こんなことを語り始めたところで、僕もかなりおじさんか?(^-^)