今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

スポーツの試合は闘争本能を満足させるものだろうか

 女子バレーボールのリオデジャネイロ五輪最終予選のライブ中継をテレビで見入ってしまった。

 正直、最近はスポーツの試合をテレビで見るということがほとんどなかった。
 以前は甲子園に高校野球を見に行ったりもしたし、幼き頃はプロ野球も見たりしていた。ぼんやりと、NHKで深夜に放映されるウィンブルドンテニスを見たりしていたし、学生時代に一時期はNBAを見るのにはまったこともあった。、どうも最近はスポーツをミルがしなかったのだよね。

 しかし、今日の女子バレーボールの対タイ戦はとても接戦で見入ってしまった次第。リオ五輪に出るのに、今回勝っておかないと大変難しくなるとのこと。ファイナルセットで勝ったのを見て、あぁ、良かったと。
 バレーボールを見るのは元々結構好きだった事を思いだした。

 スポーツの試合というのは一種の戦い。戦いの観戦ということになろう。
 人間はそもそも闘争本能があり、自分が戦うよりも安全な観戦という方法を好むのかもしれない。
 食べるのに困らなくなった古代ローマ市民が、パンと見世物を要求したことは歴史上有名だ。見世物の中には、剣闘士による殺し合いの闘技があったと聞く。これこそ、闘争本能を代理戦で満足させる状況の象徴と言えないだろうか。

 その意味ではスポーツ観戦とは、そういう闘争本能を満足させるものなんだろうか。

 様々なルールという制約で縛られた近代スポーツは、ルールで縛られているからこそ、命の危険はかなり少なくなっているので、その意味で近代的と言えるのかなぁとか思いつつ。バレーボールは私自身もすることが好きだったりするスポーツだが、

 それにしても、日本が勝って良かった。なんかとても負けそうな試合だったから。最後のセットは大逆転だったからして、そのハラハラ感は、なかなか他で味わえるものではないだろう。