今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

自由への逃走

 僕は先日、海外旅行をしてきたわけだが・・・そのたびに思うことがある。
 これは自由への逃走だなって。
 
 日本人として生まれてきて・・・多分誰しも多かれ少なかれそうだと思うのだが、日本社会というのは束縛が多い世界だ。

 まずは、義務教育に始まり、朝礼の時はみんなで規律正しく並び、学業では自由な発想よりは知識の暗記をしないと生きていけない受験世界へ否応なく入って行かされる。窮屈だと感じたのは私だけじゃないだろう。反発を覚えた人だっていたかもしれない。
 また、家庭では家庭で、家父長制の流れを汲んだ保守的な家庭生活が待っているのである。そこに窮屈さを覚える人だって多いからこそ、大学に入ったり、社会人になった時点で、一人暮らしを始める人も多いわけだ。
 そして、社会に出れば出たで、朝から晩まで働いて、個人よりも組織のためと朝から晩まで働いて、自分の時間を享受できずに、それとも、組織の中で馴れ合っていくことによほどのエネルギーを費やすことによって、やはり、窮屈なことには変わりない。社会人で、制度としては労働基準法で定められているご立派な休暇制度である有給休暇を制度通りに毎年すべて消化している人なんて決して多くはないだろう。

 僕は、かなり従順にその窮屈さを甘受してきた。まずは、受験戦争に勝ち抜くために、やはり、学業で成果を成すためには窮屈な受験勉強にも何年もいそしんだし、厳しい家庭だったから、いろいろな束縛も受けてきた。社会に出たら出たで、生来の真面目さだろう・・・仕事はきちんとしているつもりだし、その点はそんなに後ろ指は指されないのではないかと自負はしている。有給休暇も当然全部使い切ってはいない。

 ただ、違うのは、僕はこの窮屈さへの、単なる恭順者ではないということだ。うわべ、かなり従順でありながら、根っこのところでは、窮屈さへの抵抗者であろうとしてきた。

 大学時代から、故郷を離れ地方の大学を選ぶことによって親元から離れ、自立することを選んだし、社会人になっても日頃は責任感を持って仕事をするが、ひとたび思い立てば、休暇を取って旅に出る。以前の上司から「この子はひょっとするとどっか行っちゃうんだから」とあきれ顔をされていたこともあるが、それはそれで何が悪いのだという顔をしていたものだ。そして、今も親元にパラサイトすることなく、自立して一人暮らしをしている。

 さて、僕はかように窮屈さへ抵抗してきた。それはすなわち、自由の希求と言ってよいだろう。そう、自由を希求してきたのだ。

 そんな私にとって、海外に出れる自由というものはとても大きなものだと考えてきた。
 今でこそ、なにも分からない、中学生とかもひょっとするとホームステイとか言って親の金でひょっと海外に行ってしまう時代であるので、海外に行くのもさほど困難さは感じないかもしれないが、海外に出るというのはよほどいろいろな束縛を乗り越えなければ行けないのである。

 基本的には、移動の自由が担保されている日本国民でなければならないということがある。そう、罪を犯し刑に服していたりしてはだめなわけだよね。
 これはさほど難しいことではなく、たとえばそこらの子どもだって基本的に移動の自由が担保されてはいる日本国民だが、移動の自由が担保されていても、その移動に要する費用を払える経済力がないとだめなわけだ。経済的な自由があると言ってもよいことだが。
 僕の場合は、子どもに海外旅行や留学をさせるほどの余裕がある家庭で育ったわけではないし、そして、子どもの頃から親の金で海外などという優雅さを許すような甘い家庭ではなかったので、必然的に自分で金を稼いで行くしかなかったわけだ。そう、親の経済圏からの自立という大きな関門があったわけだ。

 だからこそ、大学を出て、社会人になった時・・・初めて就職した職場は、残業続きで殺人的と言ってよいほど忙しく、とても海外旅行に行くような余裕があるような職場ではなくて、毎日を生きていくのに精一杯であったが、せめても親の経済圏から自立したという経済的自由を手に入れた証として・・・パスポートだけは手に入れたんだ。

 うれしかったよ。これで、僕は海外に行くという、移動の自由の中でも最大限の自由を手に入れた証を手に入れたんだと。

 翌年、転勤により余裕が出た私は、ロシアのサハリンに初めての海外旅行に出た。そう、その最大限の移動の自由を行使して。稚内の出国審査を通った時・・・あ、僕は生まれて初めてこの国を出たんだ。すごく印象に残った。元共産圏であるロシアへの出国という緊迫感がその雰囲気を高めてくれたのかもしれないが。

 今回の海外旅行でも、やはり、成田の出国審査を通ると・・・思うんだ。
 
 「僕は自由だ」
 
 そして、やはり感動を噛みしめる。おれは自由人なんだって・・・。
 
 おおげさな・・・そんな意見もあるかもしれない。でも、海外に行きたくても行けない人ってたくさんいるよね。先日のペナン島で話した、博物館のセキュリティのお兄さんとの語らい(ここ参照)でも、そのお兄さんは行きたいけど経済的自由の面で外国に行けないんだと話していた。

 パスポートという証書を持って海外に自由に行ける。これはすごいことなんだ・・・って思っていいことだと思う。

 かの社会心理学者エーリッヒ・フロムはナチスの束縛に隷属する民衆を分析して「自由からの逃走」という本を書いた。僕はその反対・・・パスポートを持ち海外に出るという行為は、数々の束縛(仕事でもいい、お金でもいい)からの逃走・・・そう、自由への逃走と言えるのではないだろうか。

 そう、かの杉原千畝が出した、トランジット・ビザによって救われたユダヤ人の話などを思うに、パスポートの行使というのはやはりそうなんだろう。

 自分はその自由を持っている・・・感動すべきことではないか。

 ただ・・そういう感動にひたって、一歩出国ゲートを出ると、世界の多くの空港では免税店が並び、酒やタバコや化粧品など世俗的なものが国内法的な税金からフリーになることを狙っている店が並ぶ。自由の通俗的な使用(悪用?)な気がして興醒めではあるのだが。

menzei_pinang.jpg マレーシア・ペナン空港の免税店街