今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

働けば自由になるって・・・ないよね・・・


 さて、今日も自由の希求について語ってみたい。


 昨日は、脱サララーメン店主のテレビを見ながら、その無限のリスクと引き替えの自由に飛び立てないなぁということを語ったわけだが・・・勤め人にとって自営って永遠の夢かもしれない。


 でも、組織の論理に逆らってまでやりたいほど好きなことがなかったり、仮にあったとしても、食っていけなくなるというリスクをおかす勇気が出なかったりして、組織に居続けるということが往々にしてあるんじゃないかな。


 私だってそうかもしれない。


 さて、そこで出てくるのが働けば自由を得られるのかなぁ?労働は私たちに自由をもたらすか?という問いである。


 確かに、働けば、経済的には余裕が出る。それを元手に自営に行けば自由をもたらしてくれるだろう。しかし、現実・・・今まで語ってきたようにそれは難しい部分がある。失敗すれば一気に滑り台のように奈落に落ちるとなればそんな簡単に自由求めて羽ばたけない。


 だから、結局、組織に居続けることが多かったりするだろう。


 要は、今の時代も労働というのが与えてくれるのは制限付きの自由に過ぎないのじゃないかなぁということ。


 仕事にからめとられた人、それがすなわち勤め人じゃないかなぁと。


 それでも、仕事ではストレスがたまる。絡め取られた拘禁症状のようなものに近いのかもしれない。


 仕事にイヤになると休暇を取って旅行に出かけたりするわけだよね。


 僕も、休暇を取って、山形の奥の温泉に出かけたことがある。10年位前になろうか。独身だったから比較的お金もあったから、ぱっと山形新幹線で、思い立ってという感じで。


 最寄りの駅から車で1時間くらいだったわけだけど、宿の送迎を頼んだよね。僕だけのために来てくれた。


 1時間もあるわけだから、その宿の若旦那と語り合ったけれども・・・まぁ、勤め人より自営も自由でいいですよねぇと語りかけると、それはそうですが、休みが決まっている勤め人もいいですよ、雪が降れば雪かきが待ったなしでありますし・・・と言われて、納得せざるを得なかった思い出がある。


 そう、わざわざ僕のために1時間の道のりを迎えに来る。それは、僕の都合に振り回されているのであって、宿の若旦那には自由がない。


 自営をしたって、自由じゃない。だったら、働けば自由になる・・・なんかそれは追ってもつかめない青い鳥。幻想に思えてくるのである。