旧知の友人から勧められたのがきっかけで、重松清さんの小説をここ数ヶ月はまりこんで読んでいる(この一語り参照)
今回読了したのは「定年ゴジラ」。
ニュータウンに住む定年後の高齢者の男性がしょぼくれながらも自分の居場所を見つけていくと言うようなストーリー。
重松清の作品は、だいたいしょぼくれ系な主人公達が多いわけだが・・・今回は定年後という高齢者という設定であったので、まだ30代の私にはいささか自分と同化できない部分があって、乗り切れはしなかったストーリーではあった。
今まで読んできた重松のストーリーが、30代後半のしょぼくれた主人公達のストーリーが多かったので、その意味では自我関与できたという感じで・・・そう、他人事に思えなかった部分があったのだが、定年後はさすがに自我関与できる感じではないのだ。
重松自身、今現在は40代前半くらいだったと思うが、それらストーリーを書いてた頃はちょうど主人公達と同じくらいの30代後半だったんではないかと推測されるが。
ただ、今回の「定年ゴジラ」・・・いかにしょぼくれていたと言えど、主人公達はみな立派な成人した子持ちである。要するに、すくなくとも30代初旬くらいまでには結婚して定年していないと、子どもが成人してしまって家を出ていってしまって寂しいというこのストーリーの背骨はできてこない。
僕はまだまだ未婚で30代も半ばにさしかからんというところだし・・・いかにしょぼくれているように思えど、この主人公達のよりもっと悪いしょぼくれ方になる(子どももいないし、家族もいない、真の意味での孤独な60代)ポテンシャルを十分秘めているわけで・・・もしかしたら、この定年ゴジラ達をかわいそうに思うような余裕がない老人になっているかもしれないな・・・
それは、いかんせん悲しすぎる・・・なんとしてもお相手を捜さねば・・・
そんな感覚を持ってしまったものだが・・・ちょっと変かな?
うーん、とにかく重松ものは人生考えさせられるね。
今は「口笛を吹いて」というハードカバーの重松ものを読んでいます。表題作の短編「口笛を吹いて」は野球を絡めた彼得意のもの・・・すごくよかったな。