今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

けっこう久々にゲーセン

 昔はよく通っていたゲームセンター。ある時パタッと行かなくなった。その昔は、ゲーセンがなければ生きていけないなぁとさえ感じていたものだが(その意味では No music,No lifeならぬNo game,No life(^-^))・・・変われば変わるもので・・・まぁ、それが大人になったということだろうか。もう行かなくなって一年以上経つだろうか。
 今週は疲れたし、なんか、発散したくて、久々に行ってみた。
 行くと・・・以前行っていた時に見かけた人がまだいた・・・そうか、この人たちはずーっと通い続けていたんだな・・・と思ってみたり(^-^)

 で、ここ2回くらい久々に行っておもしろがってやっているのがKONAMIの業務用ガンゲームのセイギノヒーロー。以前はガンゲームはとても好きだったのだが・・・このゲームは特によい。なぜいいかというと、海上保安官にもなって戦えるというところがである(ほか、警察官や自衛官になっても戦えるのだが)。私は海上保安官に対して、警察官や自衛官に比べて地味ではあるが、地道に国際法上のただ中でがんばっている治安担当職員ということで、なんか好感を持っているのは、過去の語り(ここここここ)で語ってきたが、まぁ、そういうわけでこのゲームはなかなか地味なところにもよく目を行き届かせているなと感心してしまったのだ。

 そもそも学生の頃などはなぜゲーセンに行っていたのだろうかと振り返るに・・悩んだらゲーセンに行き、ゲームに没頭することによってなんとなく紛らしていたということが多かったように思う。学生時代の悩み・・・論文作成が進まないとか、レポート期限が迫っているものを3本抱えているとか、将来が決まらなくて何となく不安だとか・・・また、一人暮らしが寂しいとか・・・社会人になって食うか食われるかの世界に身を置いている今となってはさほどでもない悩みではあるものの当時としては大問題を抱えつつ、悩める時・・ゲーセンに行っていた。行っても根本的にはなにも解決しないことはわかってはいた。論文が進まなければそのための作業に時間を割いた方が直接的解決になるし、将来が決まらなくて不安なら、ゲームと対話しているよりは、誰かに相談するとか誰かの自伝を読むとかの方がより直接的だ。一人暮らしが寂しかったら、友達を増やす努力をした方が直接的だったかもしれない。

 ゲーセンに行って悩みを紛らすというのはいかにも消極的だなぁと思っていたのだが・・・今は消極的だとばかりは思っていない・・・
 社会人になってから10年近く経つが・・・悩みの根本原因と直接的に対峙することはとても重要だし、基本的にはそれにいそしむべきではあるものの・・・すべての悩みとがっぷりよつで組み合っていっては身体が何個あってもたりないということもまた事実だと分かってきた。例えば、仕事が忙しすぎて恋をする暇もないという状況の時はどちらかをあきらめるしかないわけだ。仕事を取るか、恋を取るか。どっちもなんとかしようとすると苦しいわけだ。
 だからね・・・悩みって紛らしていくうちにどうだっていいかなって思えるようなったりすることもあるし、どっちを真っ向から取り組むか覚悟が決まってくるものだと感じている。それは適応的状態といってもよい。

 まぁ、だから、ゲーセンで時間つぶしみたいな感じでゲームに没頭する・・その時間的経過で悩みがなんとなく消極的であれ解決を見るかもしれない。少なくともゲームに没頭することによって悩みへの意識の集中を一時的であれ離れさせることができるわけだ。

 だから、悩める時にゲーセンに行くというのはあながち間違った方略でなかったようにも感じるし・・・まぁ、最近ゲーセンに行ったのはいろいろ悩みも鬱積してきたからにほかならないわけだがね(^-^)