今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

テレビを視ることは人生の時間の無駄遣いだろうが、希望を与えてくれるものでもある


 まぁ、ここではテレビネタを語ることも多いだろう。


 だって・・・今日だって妻は「あ、今日のロンハーは格付けだよ♪(ワクワク)」とか言っているし(妻は格付けが大好きらしい・・・もちろん私も結構好きで二人でげたげた)、片づけ終わったら録っておいた「水曜どうでしょう」を視ようとかうきうきしているし。


 その点は気が合う。私もテレビ大好きだからね。ドラマもね。


 だから、どうしても家での主たる娯楽がテレビ視聴となるわけで・・・ここでもそのネタが多くなるわけである。


 私はそもそも、高校生までは、実家であったし、テレビ視聴は厳しく制限されていた。勉強のじゃまになるということだろう。私に与えられた至上命題がいい大学に入ることであったから、仕方ないことであろう。テレビは勉強のじゃまになるのは私も分かっている。


 念願かなって浪人を経て大学に入学し、独り暮らしになったが、独り暮らしし始めはテレビはなかった。冷蔵庫、炊飯器は生活に必要であろうと買ってもらっていたが、テレビは必要なものではなかったのである。確かにそれはそうなのである。


 数ヶ月後にバイトを始めたりして、テレビを買ったわけだが。その間はラジオが娯楽だったわけで、結構寂しかったものだ。


 テレビが来たら、むさぼるようにテレビを視た。明日が土曜日だとか日曜日だとか言うと、夜を徹して視てしまったりもしたものである。


 だからといって、勉強・・・いや、大学以降は学問と言った方がよいか・・・学問なり研究なりをおろそかにしたわけではなかった。さすがに家ではテレビがあるから妨げになるという意識から、図書館に行ったり、大学の図書館が閉まっている日曜日は公共図書館に行ったりしながら、それなりに学生の本分も尽くしてきたつもりだ。


 ただ、そうやって勉強をするためにテレビをさけてきたと言うことは、試験に受かるとかの人生の上で万人が認める有意義さにとって、テレビという一方的な非生産的な場合が多い映像の受動的視聴というのはいかにもいかにも無駄だということがテレビ好きの私とて本能的に分かっていたということであろう。いかにテレビを擁護したくとも否めない事実だろう。


 実家にて、テレビ視聴を厳しく制限されていなかったら、決して私は大学に入れなかったことは認める。


 人生にとって有意義さの効率的追求の観点からはテレビ視聴の時間は無駄と言って過言ではないだろう。


 その意味で私たち夫婦は、人生の無駄を毎日楽しみにしているのかもしれない。今さっきも、明日は「相棒」だけど、録っておいた方がよいかななどと真剣にディスカッションしていた。夫婦が顔付き合わせて語り合うことはもっとほかにあるだろうというつっこみもあろうが。


 ただ、30代半ばを迎える私たちの年になってくると、人生は有意義さの効率的追求だけでは身が保たないということが分かっているのである。


 私たち二人は多分あまり運が良くない二人である。ここを読んで頂いていてもそれは分かって頂いている方もいるかもしれない。別に自慢する訳じゃないけど。


 だからこそ、人生の無駄と思えるテレビ視聴を楽しむ時間を楽しめるのである。まぁ、ここいらで一休み、いいじゃないかと(^-^)


 私もなにか有意義なことをを効率的に追求する、それで何かを成し遂げれば、それはそれで自分のプライドの維持につながるのだけれども、そんないたちごっこみたいなことには疲れてしまっている30代半ばでもあるのだ。


 それを私たち二人はよく分かっているから・・・とりあえず、好きなドラマやテレビ番組が見つかると幸せ。人生の時間の無駄遣いとは分かっていても、その無駄遣いが自分たちを休ませてくれることがよく分かっているから、その時間を大切にするのである。


 1年半ほど前、妻は入院した。さぁ、これから結婚式と、後は式を挙げるだけの直前の時に。


 そして、その式は流さざるを得なかったわけだが・・・2005/10/19一語り「結婚式中止」に語ったように、今は妻になっている妻が元気になってくれるのか、妻との明日(将来)を考えられるのか・・・泣いたり嘆いたり虚脱状態に陥ったり・・・


 そんな入院前、妻は大好きなドラマ「白線流し」のスペシャルがあるから録っておいてと僕に言づてて入院していったんだ。私も白線流しは大好きなドラマだったからそれには異論がなかったが、それにしても、明日を考えられるかどうかの入院前に語り合うネタとしては「白線流し録っておいてね」っていうのはやや間が抜けている感もあるが。


 どうにもいろいろまいっていた私だが、それでも録っておいたらしい。


 おおよそ2ヶ月くらいの入院の後、妻は退院できた。そして、今、こうやって一緒にいられるわけだが・・・


 一緒に録っておいた「白線流し」を視られた時・・・本当に嬉しかった。


 テレビ視聴は、多分、人生の中でもっとも無駄な時間のひとつだろう。しかしながら、その無駄を楽しむこと、その無駄を共有し合うことを夢見て私たちは苦境を乗り越えられたんだと思う。


 だからね・・・テレビ視聴は、テレビを楽しみにすることは、僕たちに希望を与えてくれたんだよね。


 ドラマ「華麗なる一族」視ながら・・・妻が「鉄工所を継いでいるから"鉄平"、銀行を継ぐから"銀平"ってねー♪」私が「あ、そうか・・・でもなんか安直、それにしても万俵ってよー」。こうやって文字化していてもなんだか人生の中での無駄時間的な色合いがにじみ出ているが、こんな会話をしていられることに希望なり幸せを感じていられるんだよね、僕たちは。