今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

がんばれば夢が叶うというのは幻想


 昨日、「ハチワンダイバー -フジテレビ」にいたく感動していた私だ。まぁ、人生あきらめなければ未来があるさという明るい希望を挫折者の立場から描いた点が非常に気に入ったわけだが。


 まぁ、言ってみれば私も挫折の連続だからさ。


 ただ、このドラマもファンタジーとして架空のものとして見なければだめである。


 今日、反貧困―「すべり台社会」からの脱出 湯浅 誠 著 岩波新書 を読了した。要は、スタートラインの初めから差が付いてしまっている機会さえ不平等な現代における貧困の諸相の根深さを描いた論説で、非常に迫力があった。


 そう、がんばれば希望が叶うというのはすなわち「機会の平等」の概念で、非常にアメリカ的な思想であるが、おうおうにしても現代ではうそっぱちである。


 例えば、東大生の親の多くは管理職である。そう、豊かでなければなかなか教育にお金がさけないからである。


 現代の議員においては二世・三世議員が非常に目立つ。どうしてか・・・それは、その親世代が築いた地盤がなければなかなか議員になれないという事情があるからなのは容易に想像できるところだ。


 また、さきの大分の教員採用試験の不祥事に至っては、親に力があるとかコネがあるとかでないと教員になれない感じであったりする。


 こうなると、がんばればなんとかなるというわけではない。そう、現代では機会の平等でさえ保たれておらずスタートラインが違う機会の不平等があからさまに目立つ。


 そんな現代において、がんばればなんとかなるのだという、かのドラマのような展開は甘く耳に響くが・・・そんなのを素直に信じてしまっていては、なんというか自分が苦しくなるだろう。いや、若いうちはいいかもしれない。今となってはそんなのを信じるほど子どもでいては生きてはいけない。


 それはそれで幻想として・・・それでもフィクションの上では幻想もまた楽しからずやという姿勢を持っていく必要があろうね。


 それが大人の幻想の楽しみ方ということであろう。