今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

時代も変わり、コインランドリーも変わったものだ

 学生時代、北の地、宮城県は仙台に暮らしていた時、コインランドリーをよく使っていた。というか、洗濯機は家になかった。

 最近、例えば、地方から東京に出てきた学生とかは、洗濯機、冷蔵庫、テレビがあったりすることは普通ではないだろうか。それらが備え付けだったりもする物件も多かろうし、そう、エアコンこそ備え付けだったりしよう。また、備え付けられていなくても、それらは親に買ってもらえることも多かろう。

 私の親は結構厳しいのか・・・まぁ、洗濯機は買ってもらえなかった。まぁ、置く場所もないアパートであったこともあるが。テレビも買ってもらえなかったので、その後、少しく自分のお金を得た時にCDラジオを買うかテレビを買うかで迷って、CDラジオを買ったので、しばらくラジオドラマとか朗読とかが夜の友だちであったことが思い出深いが・・・。半年以上経ってからかな、テレビを買えたときにはうれしくて。

 今の若者に聞くとテレビの配線などは自分ではやり方は分からず、家電の配達員にやってもらったなどと話を聞くと・・・そうか、時代は変わったのだなと思ってみたりする。隔世の感だ。

  昔話になるが、私は、同軸ケーブルを切って被覆を剥がして、接続端子に繋いで、端子に繋ぐとかしたものだ。私の実家も電器屋さんに来てもらって接続していたと思うから、私の方は自前でやるしかなかった。今はもっと簡単になっているし、この前テレビを買い換えたけど、昔に比べれば非常に簡単だが、それも今の若者はやらなかったりするのだろうか。

 また、その頃、北の地の仙台で生きていたが、暖房はこたつで十分でしょうとこたつを買い与えられていたが、さすがに北の地ではこたつだけでは厳しく、試験期間中に高熱を発し、よろよろしたりした。大学の保健室から薬をもらってしのぎつつ、試験も切り抜けたが、さすがに次の冬には石油ファンヒーターを導入した。

 出身地の関東から友だちが遊びに来たとき、夏だったけども、わが家が暑いと言われたりもした。エアコンがなかったから。地球温暖化の現代では信じられないことだろうが、エアコン無しでずーっと暮らしてきていた。ここ20年近くはエアコンを導入しているが、その前はエアコン無しのひとり暮らしであった。学生だから部屋で勉強したりするわけだが、レポート用紙が汗でくにゃっとして、素肌が当たらないようにして書いていた思い出もある。

 要は家電はあまり買ってもらえなかったし、自分で揃えたとしても必要最小限であったということ。

 閑話休題

 そう、若かりし頃は洗濯機をよく使っていた。仙台の地でね。洗濯機がなかったから、コインランドリーを使っていた。

 でも、冬の寒いときにコインランドリーでできあがりを40分とか待つことができなかった。仙台は北の地であるからして、寒い。暖房もない、椅子こそあれどバスの待合室みたいなコインランドリーばかりだったから、一度家に戻ったりするのだ。

 すると寝てしまっていて、2時間後に行ったりすると、自分の洗濯物が出されていたりする。後の人がじれてしまうのだろう。それを回収してってこともままあった。

 最近は洗濯機はさすがにある。置き場もあるアパートが多いだろう。だから、コインランドリーに行くことはほとんどないのだが、今日は行ったのだ。なぜか?

 そう、靴を洗うため。

 庭があって外水道があり水を流せたりすれば、外でスニーカー洗いとかできようが、賃貸物件ではそれはきつい。となると、靴の洗濯機があるコインランドリーのお世話になったりする。

 行ってみたんだよね、午前中。

 えらく賑わっていた。きれいだしね。

 老若男女あつまっていたし、大きな毛布とかを大きなランドリーでドライクリーニングするみたいな使い方に見えた。これも隔世の感がある。

 そして、中は空調が効いていて、机もある。近くのコンビニで珈琲でも買ってくればカフェみたいなものだ。無線LANだって通っていたし。みなみな、携帯を見たり、過ごしていた。私と妻の分をスニーカーで洗うのは30分弱。行くまではどこか喫茶店にでも行かねばとか思っていたがその必要なく、えらく快適に過ごせた次第。

  なんか、寒くて家に戻り洗濯物を外に出されていた頃とは隔世の感だなと実感した次第。