今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

自分の文章が残るということ


 自分の文章がインスタントに世に出せるということに興奮を覚えてHTMLを習得して以来、10年以上、ウェブでの表現の虜になってきている私である。特に文章表現において。


 でも、ウェブでの表現は、例えば、自分が死んだら残らないんじゃないかという思いに駆られ、考えたことがある。


 自分が死んだら、サーバーの契約料が払わなくなり、自分の文章は消されて終わるんじゃないかという危惧。


 確かにそうなのだが、インターネットアーカイブ系統に残ることが分かってきている。


 インターネットアーカイブとは、ネット上にある時期存在した情報を収集し時系列で保存するシステムである。


 だから、私がウェブ上から消した情報にしてもインターネットアーカイブには残ったりしている。


 だから、私の危惧はおそるるにたらず、ネットでの表現は多分かなりの長期にわたって残っていくことが今や明白だ。


 最近話題になっている、34歳女性の結婚詐欺事件においても、女性のブログが今や削除されているにもかかわらず、Googleのキャッシュによって保存されているため、事実上残っているのと同じ状態になっている。そのブログの内容についてマスコミにおいてはいろいろな風評がなされているわけだが、その風評については特に感想は述べないものの、いったんウェブ上に出した文章は残るということが印象的にわかる最近の事件であることは確かだ。


 なにか自分の生きた証として自分の思考を発表したいという思いを子どもの頃から持ち続けてきて、20代半ばにウェブに出会い、その夢を叶えた私としては、残るということはやはり夢の実現であることに違いない。


 もちろん、残るからには、今回の事件のようによくない意味で取りざたされるのは望むところではないが。