さて、昨日に引き続き、株について語ろう。
昨日は庶民レベルでは株を買ってはいけないということを語った。
私がただ一つの株を買って損したからという乏しい経験則からの結論ではない。
要は株というのは、たいした知識もない庶民〜そしておうおうにして資金力もないのが庶民であるが〜が参加すると、それはギャンブルとなるのは自明だ。
いやいや、私は四季報を読んで研究しているよという方もあろう。
でも、それは競馬新聞を読んで馬の研究をしているよという方とさほど大きな差はないのだ。
というのも、株へのアプローチはいろいろあるが、四季報などで企業の力を見ていくというのは、ファンダメンタル分析の一種であろう。
そう、株価というのは企業の力を反映する物であるという基本的な考え方。それはそれで理論上は非常に美しいし、株というのはかくあるべきだろう。
しかしながら、昨今のように庶民含めて不特定多数が参加できる株式市場ではファンダメンタル、すなわち、企業の基礎体力がそのまま株価に反映するとは限らない。
要するに、相場というのは投資家の心理の積分、総和であるからして、いくら企業体力があっても、あの企業はやばいぞといううわさだけで株価は暴落する。
そう、人の心理の積分という得体の知れない物が相場であるからして、株というのはギャンブルに他ならないのだ。
でも、相場で生きている人もいるではないかという話もあろう。
それはそうだ。
しかしながら、それは、十分な資金力、多少の損はかぶっても大丈夫な資金力、その上で、相場に参加し差益を得ているのだ。
日々の生活で手一杯の庶民がそのような相場に参加しても多少の波ですぐ破綻してしまうのも想像に難くないだろう。
そう、相場は人の心理の総和であるからして得体が知れない、だからこそ、ギャンブル以外何者でもないのだというところで、そういう意味で利殖を目指して株式投資をするのは絶対に薦められないのである。
そういう話を友人にしていたら、株は経営に参加するためのものであり、利殖という意味ではギャンブルになってしまうねという話を聞いて非常に得心がいった。
そう、株を持つというのを利殖の意味ではなく、応援したい企業の経営に参加しその企業が傾けば自分も傾くという共同経営者としての意味で買うのであればいいのだが、大方の企業が傾きつつある不況の昨今、株を買うのはおすすめできないのは・・・自明であろう。