今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

釣りは好感度の高いギャンブルである

 釣れるも八卦、釣れぬも八卦、釣れるかどうかわからない点では釣りはまごうかたなくギャンブルである。

 しかしね、パチンコ、競馬、競輪、競艇、レートによっては違法性は帯びるが賭け麻雀といったギャンブルに比べ、釣りがえらく好感度が高いのだ。それは釣りにハマっている、依存してしまったであろう私からみても不思議だ。

 「おい、パチンコ行くぞ」なんて男の言葉に、ハイハイとついて行く妻なり彼女がいたら少し異様だ。家計を預かることの多い妻の立場からしたら家計に圧迫を与えるし、決していいものじゃないはずだ、ギャンブルは。

 妻なりパートナーもギャンブル好きだっていうのならわかるけどね。それもなんか、アウトローな感じを否めない。賭け麻雀にいそいそ出かける夫婦ってのは異様でしょ?

 勿論麻雀仲間もいようが、そういうのは賭けない健康麻雀とかで老人が集まってというのは理解できるが、そうでないマジな賭けは、西部劇でポーカーなりのカードゲームをバーで煙ふかしながらやっていて、イカサマだぁとかで撃ち合いになる、そんなアウトローさにつながるイメージだろう。

 競馬、競艇、競輪など特に好きではないしやらないのだが、社会科見学的に妻といずれも行ったことがある。あ、競馬はないかな。目当ては賭博場グルメとでも言おうか、カツ串や、煮込みがうまいので妻と賭博場グルメデートなりをしていたものだが、そういう賭博場に出入りする女性はいるものの、それなりに場末感ある女性たちだった気がする。そういう賭博場では妻がよりかわいく、美人に見えたものだ。

 かように賭博場に女性同伴とかは似つかわしくないと言うことを語ってきたところで、ハマってしまう依存性を持ち、まごうかたなきギャンブルの一種である釣りは、別に女性同伴でも行けてしまう部分がある。

 というか、私自身も「おい、釣り行くぞ」的な感じで妻と一緒に釣りに行くことも多い。さすがに朝マズメ狙いで、朝2時に起きろとかは言わないが・・・どうしてもしたければ一人で行くが・・・できれば二人で行きたい。妻もギャンブルなんだから釣れなくったって怒らないでねとか言いながら、妻なりの仮説を立てて、釣りに協力してくれたり、釣り場でつまらなくならないように自分なりに工夫したりしている。

 「おいパチンコ行くぞ」では異様だが、「おい釣り行くぞ」は結構いいイメージ。

 釣り場は賭博場であることには変わりないのだが、いいイメージ。

 「おいパチンコ行くぞ」という男だったら、別れなさいそんな男って実家系統からの圧力必至だろうが、「おい釣り行くぞ」だったら乱暴な言い方へのクレームもあれど、やさしい実家系統なら、いいじゃない釣りぐらい付き合ってあげなさいよくらいにもなるかもしれぬ。

 

 あぁ、なんと釣りって好感度の高いギャンブルなんだと痛感した次第。