今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

宝くじと人生と世相

 今日、仕事帰りにふと宝くじ売り場を見たんだ。ほら、人一人は入れるボックスタイプでさ、宝くじを売っているブースってそこかしこで見かけたりすることも多いと思う。いわゆる都会では。
 
 そういう仕事っていいなぁとか羨望のまなざしで見ていたこともある。
 また、真に苦しい仕事になっていたときは宝くじを買って当たったら、やめられるんだろうなぁとか夢想したこともある。

 実はの話だが・・・宝くじと私は結構昔からの縁がある。高校時代、宝くじを買うのにはまった。公営ギャンブルとは異なり、未成年でも買えるということもあったからだ。また、本を読んで研究をしたりもした。まぁ、研究と言っても宝くじの歴史みたいなものになったわけだが、それで、宝くじのモニターに応募したりして、宝くじのモニターになったりもしたものだ。妙な知識も増えて、今はどうかわからないが、東京は
内幸町の第一勧銀本店(当時は勧銀であったわけで)に行ったら、宝くじの当選金をゲンナマでもらえるということを知ったりもした。1億円を枕に寝たいという方がいたりすることも。
 そんな知識を、高校の最後の文化祭では、まぁ、掲示発表というのかな・・・学会とかではパネル発表に近いのかもしれないが、そんなことをしたんだよね。宝くじと私みたいな調査発表的な感じで。
 まぁ、そんな感じで宝くじにはまっていた私は、しばらく買っていたが、買っても何百円という程度であったわけで、リターンがプラスになるはずもなく、宝くじにはまるのはやめようと決心したのも早かった。数学の中でも確率論が好きだった私は、確率的に見てどう見ても損するのは自明である限りばかばかしくなったからだ。

 あぶく銭は身につかずということわりの通り、地道に働こうじゃないかと思ったわけだが。

 浪人生活を経たため、大学時代には、宝くじから手を洗ったと思う。浪人の時にいくら厳しくても、宝くじを買っている暇はなかった市そちらに逃避したくも思ったことはないから。

 しかし、社会に出て、宝くじを買いたいなと思ってきたことは何度もある。先にも語ったが、やはり、真に苦しい仕事だったときだ。でも、買わずにきた。
 今も時に思う、買いたいなって。今3億円当たれば、仕事を辞めても一生食べていけるよね。そう、今の給与所得者の生涯累積賃金額って、3億も行かないんじゃないかな。でも、買わないでいる。まだ、がんばれる。


 さて、はじめの話に戻る。宝くじブースを見たんだ。見るともなくね。そこには、通常は中年女性がいることが多い。やはり、宝くじブースでの売り子だけで食べていくというのは難しいから、主婦のパートというジャンルが妥当と言うことは常識的にわかる。そして、金品類似のものであるからしてアルバイトのような臨時的な人よりは長く続けられるパートとしての主婦的な方々が向いていることも。
 しかして、今日見たら、若めの男性だったわけだ。
 非常な違和感を覚えたのだ。
 若い男性がこの仕事で食べていけるのか?と。自分一人ならば大丈夫かもしれない。しかして、家族を持って養っていけるかと。できなくても、そこで働かねばならないのかもしれない。事情はわからないが・・・。

 現代の世相は非常に世知辛い。正社員であっても、疲れ切ってやめたくなることだって多い。だからこそ、宝くじが売れるのかもしれないが。

 世相は厳しくなっているなぁと感じた次第。

 宝くじで3億当てたら、夢が叶うんだろうか・・・そんなことを考え始めると、ちょっと悲しいのである。