仕事するために生活をしているのか、生活するために仕事をしているのかという問いに対してはいろいろと考えがあると思う。
まぁ、私は仕事なんてものは、生活するための従たる存在であると思うし、生きるために仕事していると思っている。
仕事で収入がなければ生活はできないし、なにより、この日本社会ではある一定の組織に属しているということが重要であり、それがないと生きづらいことこの上ないのが自明であるためやむなく仕事をしているようなものだ。
本当は一人で仕事したいものだが、なかなかできぬため、学校の席順ではないけれど、隣の席に誰が来るかということ、そしてその人とうまく行くかとか・・・そのへんでストレスもあろうし、それが生活に及ぼすリスクは否めない。
職場でイヤなことがあってそれを引きずって、飲み過ぎてしまってせっかくの休日がつぶれてしまったとかね。おとーさん、遊びに連れて行ってよーという子どもがいるのに、仕事で疲れ切ってしまったりして、寂しい思いをさせてしまったり。
私はそういうことがないようになんとかしたく思っているからして、出世もあきらめ、仕事は生活のための従たる存在であるということで、
しかし、仕事なんてのは、人間関係の極致であるため、好かれること、嫌われることあって、なんだかイヤな思いだってする。
まぁ、そんなことでただでさえ疲れているところで、その系統のストレスがあり、昨日は怒りもありなかなか寝られなかったからして、でも疲れていて寝ては起きて怒り、寝ては起きて怒りしていたら、今の時間までせっかくの土曜日をぐだぐだ過ごしてしまった。
仕事が生活に及ぼすリスクそのもの。だから、仕事なんてしたくないし、仙人のように山奥で霞を食べて思索にふけりたいものだが、今の日本社会はそれを許さないよな。