今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

年末年始休みに思う、休んでいる他人が多い中、働くのは大変だよね

 元日に旅をしながら、交通整理に立っている警備員を見かけたりすると・・・妻と話した。大変だねと。
 「仕方ないじゃないか、それが仕事なんだから」とかいう話は、物事を身体で知らない若い者がしそうなことだ。私も若気の至りで若き頃はそうだったかもしれないが、今ではそうは思わない。

 まったく大変だと思うのだ。そう、働いていない他人が多い中、時間的に拘束され仕事をするというのは。

 私自身、昨年からかなり忙しい仕事になり、加齢もありかなり疲れた。今でも疲れている。幸い、忙しいものの、年末は29日から休めているが、やはり最初はぐったりしているだけである。出かけたら、そういうことを考えてしまったりね。

 まだ、いい方だ、そうかもしれない。しかし、そうやって年を取っていってむなしくはないだろうか。疲れて休みに入るとそんな風に考えてしまったりもする。
 若い頃であればいい。ポテンシャルがたくさんあるから。仕方ない、そういうものだ・・と言われたりもするし、また事態が好転するであろう期待から自分でもそう思い込もうともする。
 

 年末年始も関係ない仕事、たくさんある。サイレンが聞こえてくれば、消防も警察もそうだなぁとか思う。

 旅に出たが、旅館の経営もそうだ。

 私も色々な種類の仕事をしてきて、仕事の性質上、年末がすぐには休みでない仕事の時もあった。その時は労働密度は今ほどではないにしても、やはり大変だった思いがある。身体的にもあるが、気持ち的に大変だ。
 身体で感じたことのある大変さである。

 よって、休んでいる他人が多い時期、そう、年末年始はその代表格であろうが、そういう時期に働くのは大変だと心底思う。そして、それらの仕事をしている方々には本当にお疲れ様と思う次第である。

 このように多数に反して少数でいるときの心理的疲れは、社会心理学で言うところの「同調」の概念によって説明できると思う。社会心理学での同調の概念は次の通りである。
 集団の中で斉一された行動様式や考え方といったものが集団標準となるが、集団標準を外れたことをしようとするとその集団から排斥される危険もあることから、集団の成員が集団標準を受け入れるように感じる心理的圧力を集団圧と言い、それを感じることにより、行動等が集団標準に合わせる方向へ変化することが「同調」である。

 日本人は大いにこの集団圧に弱いことは想定に難くない。みんなに合わせたがるのは他民族に比して抜きん出ているのではないかと思うのだが、年末年始はみんなが休む日という集団標準が日本という集団ではできている。その中でその集団圧に反して働くということに、それは命じられた仕事とは言え、心理的葛藤を引き起こすのだろう。

 そういう考え方でいけば、私が年末年始に働いた経験からしても、不快だったことは理解できる。

 そう、仕事の性質上、多くが休みの時に働かざるを得ない方々は多いだろう。重ねてになるが、本当にお疲れ様と思う。