今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

原爆 の検索結果:

長崎原爆に思いを馳せ、戦争はあってはならぬものとの思いを新たにす

…の日この時間、長崎に原爆投下されたのだ。 数年前、長崎に行った。行ったことがなかったからだ。その時の旅行記は次を参照されたい。 もてない男、長崎に行く この旅行記でも語ったが、平和について考えざるを得なかった。 そして、忘れ得ぬところにも行った。長崎の原爆投下後、自ら瀕死の重傷を負いながらも被災者救済に尽力し、その後寝たきりになってからは原爆の被害を執筆を通して世に知らしめることに尽力した永井博士が住まっていた如古堂である。 永井博士に関しては次のサイトを参照されたい。 己の…

広島市長平和宣言を読んで

… そうか・・・今日は原爆投下の日、そして、原爆投下の時間、8:15は通勤途上で過ぎたんだなと感じながらも、今日の仕事の奔流に巻き込まれていったわけだ。そう、結構忙しかったかもしれない。 帰ってきて、妻が、朝の広島平和記念式典の中継を見た話をしていた。平和宣言の話も出た。 それで、夕刊を開きつつ、秋葉広島市長の平和宣言の全文を読んだ。 すばらしい主張であった。ここまで明確に反戦を唱え、憲法9条のすばらしさを主張する公人は他に類を見ないのではないだろうか。 昨年の8月10日の一語…

広島・長崎を素直にわかろう

… しかも、昨日は長崎原爆投下の日。その長崎でまさにその日にそのような言説をしていたというのだ。 私が長崎を初めて訪れた時・・・その原爆の悲惨さ、戦争の悲惨さ・愚かさ、そして平和の大切さをひしと感じた。 もてない男のその後の語りサイト内リアルタイム旅行記リアルタイム旅行記「江戸のかたきを長崎で・・・討たれたくはないけどね」 旅すがらにノートPCを担ぎながら書きつづった文章にも、かく語らざるを得ない、反戦の思い、平和への願いに打たれざるを得なかったのだ。 永井隆博士の姿勢にも本当…

テレビを見る

…いた効果があったのと同様に、このドラマもそういうのを狙っているんだろうなと・・・ 主人公が悲劇的に追い込まれれば追い込まれるほど、視聴者はうっぷんを晴らせるのだろうな・・・ なんだかなぁと。 その後、芸術祭参加作品「〜戦後60年特別企画〜“ヒロシマ”…あの時原爆投下は止められた…いま、明らかになる悲劇の真実」がTBSにて。なかなかすごい番組であったわけで・・・ただ、長かったけどね。 重要な番組とも思ったわけで。 なかなかテレビを一生懸命見たような・・・一日だったかな(^-^)

「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」(岩波ブックレットNo.657)読了

今日は、長崎に原爆が落ちた日である。11時2分〜3分。 長崎に旅した時・・そう、もちろん平和について考えたのであるが・・・やはり、平和の貴重さを再確認できた想い出を思い返します(「もてない男の心の語り 番外編 もてない男、長崎に行く 第3章 平和について」 参照)。 先頃の、私としてはとても容認できないと思う自民党改憲草案が出たあと、普段はあまり意識化することなく来ていた平和意識の目覚めのもと、一冊のブックレットを読了した。「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための…

原爆の日に実感する平和の尊さ、現憲法の尊さ

昨日は広島原爆投下の日である。 小学校の頃から8月6日午前8時15分は印象深く記銘された日時である。学校生活を公立畑で過ごした私であるし、その意味で、特別な平和教育を施されたわけではない私だが、この日だけは忘れ得ない日として残っている。 昨日の朝食を食べる前に黙祷した、せざるを得なかった。 というのも、今年は、あの自民党の改憲草案(9条護憲堅持派の私としては改悪草案にしか思えないが・・・)を見てしまった後だから、なおさら、8月6日午前8時15分が忘れてはならない日だと思ったか…

現憲法はアメリカからの押しつけなのか?

…の日本。広島・長崎に原爆が落ちてようやく降伏に至ったきわめて保守的な当時の日本に、かくなる革新的な憲法を作る余裕はなかったであろう。 なるほど、過程としては、押しつけだったかもしれない。しかし、それは真の民主化に必要な押しつけであったことは自明であろう。では、松本案のままの憲法で今の日本の繁栄があったか?答えはおそらく否であろう。このような押しつけがなければ、日本の民主化は進まなかったことは事実であろう。 アメリカを中心とする連合国はとてもいい効果をその時点ではもたらしてくれ…