最近貧乏論を語ることが多いが、意外に性に合っているのかもしれない。語っていて気持ちいいというのは性に合っている証拠だろう。
以前はかなり「もてない」論に凝っていたし、今は「貧乏」論かぁ・・・まったくなんだかネガティブイメージに吸い付く習性があるのかなぁ。
ところで、昨日、ドラマ「華麗なる一族」の最終回を見た。迫力あるドラマだけに、最終回もさぞ・・・そんな風に思ったものだが・・・ちょっと期待はずれ。
主人公の鉄平が、自死に至ってしまったのだが・・・死ぬ必要があったのだろうか。親であっても、華麗なる閨閥であっても、金であっても、すべてをかなぐり捨てて「生きる」選択肢があったんじゃないか?そんな思いばかりが先に立ったし、死に至る必然性がドラマの中のロジックでは理解しきれず。だから、期待はずれ。
原作だとどうなんだろう。実は上巻は妻の親類の家にあったので借りてきているので、読んでみたりしているので、そちらのロジックで満足行ければいいのだが・・・山崎豊子さん原作だが、その昔、「白い巨塔」シリーズにはまって、読み込んだ時くらいのはまりこみ方になるかどうか・・・ドラマで見る限り、ちょっと説明不足な気もするし、「白い巨塔」ほどの説得力はない気もして。
要は、主人公は、金もなくなって、格好良くそれこそ華麗に「死ぬ」方向を選んだように見えたのだが・・・それって格好良くないと思うんだ。
貧乏になったって、親との縁が切れたっていい・・・格好悪くったって、生きる方がすばらしいんだと思う。華麗なる閨閥に生まれたからって、どうなのかな・・・あの終わり方は・・・そんな疑問が大きくあって。
僕だって、今は貧乏だけどね・・・なんとか生きている・・・それでいいと思っている。
「何で死ぬかなぁ・・」とつぶやきまくってしまっていたし、これには妻も共感してくれていた。
そう、貧乏生活共同体の私たちには、なんだか、その華麗なるストーリーには共感し得なかったわけだ。
2006/11/13一語り「結婚式挙げてきました(入場BGM)」で語ったように、「約束します。君を残して、僕は死にません。」というBGMにこだわるほど、生への執着を持ってつながった僕たち。妻の入院から始まった結婚生活を乗り越えて、だからこそ貧乏になっている僕たち。あんな風に華麗に散るストーリーは決して容認しがたかったのだ。
なんであっても、生きているってすばらしいと思うんだ。髪振り乱して、必死になって、格好悪くったって、なんとか生きているのってすばらしいんだから。