今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

投票用紙のたたみ方と投票の重要性への思い

 さて、今日は参議院選挙の日であり、妻と共に行ってきた。

 まぁ、選挙の日になるといつも語ることであるが、納税額や性別の差別なく普通選挙が行われているのは戦後からであって、それは日本国憲法参政権基本的人権として絶対的に守ってくれているゆえであり、非常に貴重なことなのだという意識がある。だから、投票には必ず行くようにしているわけだ。

 その意識は多分妻も似たような部分があり、ふたり一緒になってからも必ず選挙に行っているわけだが・・・

 みなさんも選挙の投票に行かれたでしょうか?

 妻と一緒に行ってきたわけであるが、ちょっと面白いことを妻が言っていた。

 選挙の投票用紙は縦長の長方形であるが、妻はそれを長辺を半分に折りたたむように折って投票していたが、今日は短辺を半分に折りたたむように点線があることに気づいて、そうしてみたというのだ。

 もちろん、投票用紙は折らないでも投票できるわけだが、そうなるとどういう候補者・政党に投票したかが第三者に分かってしまうので、思想信条がバレバレになってしまうのはよろしくないので、その自衛のために折畳むのが通常だ。

 そうなると、長方形の用紙であれば、長辺を折りたたむ方が安定性があることは数学的・幾何学的には明らかである。だからこそ、妻はそうしていたのだろう。

 しかし、短辺をたたむように示唆するがごとく点線が引いてあるのは、多分、開票のための便宜のためだろう。短辺をたたむようにすれば、すぐに開く。しかも、近年の投票用紙は、どうやら入れた後に開きやすいようにたたみにくく反発するような素材になっている感じだし、そういう報道がされていたこともある。

 となると、ただでさえたたみにくい反発性の紙でありながら、たたみにくい方の短辺をたたむようにということでは高齢者などは細かい作業が難しくなってきたりすると、たたみにくかろうということも想像がつく。

 となると、長辺であってもたたむに越したことはないし、それでも困難になりたたむのが困難になったときは、開いたまま自分の思想信条が知れても、投票するのかなぁとか思いながら、それでも、投票には行くほうがいいのだろうなぁとか考えたりしていて妻と話していたのだが・・・

 まぁ、投票所まで出向いて投票用紙を書く事ができるのであれば、たたむことはできようという妻の発言に納得し決着した議論であった。

 ともあれ、参政権の大切さを思えばこその思考であったわけで、そう、投票するという国民としての意思表示は重要なことだよなぁと思った次第で。