今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

家事は生やさしいものじゃない

 昨日は妻が臥せってしまったので、私が看病および家事をした。
 看病と言っても、病院に付き添い、飲みものを用意する位でそれ以上にできることも少ない。
 となると、普段は妻にやってもらっている家事をやるのが最も良い看病になるというものだ。

 炊事・洗濯・買い物とした次第で。

 炊事は、独身時代に鍛えたので別に問題はないが、問題なのは妻の体調であまり食べてもらえず。
 洗濯は、独身時代は、1週間分溜めて週末にまとめてとかしていたけれどもね。これでやれていたつもりだし、今使っている洗濯機も僕が独身時代購入したものを使い続けていられる位いい洗濯機を買ったのだが、妻に言わせるとだめらしい。
 どこがって・・・洗濯頻度が週一だとカビが生えやすいのだ。シャツなどは、独身時代はエアロビとか運動をしていたから、汗かきやすかったしね。今では妻が毎日のように洗濯をしてくれていて、衣服の保ちが良くなっている。
 買い物は・・・これまた慣れたところが、まぁ、かなり大量に買い込まねばと張り切ると結構疲れる。

 この3点セットをやったところで、非常に疲れた。

 独身時代は働きながら、自炊もうまくなったし、洗濯もせざるを得ない、買い物だってそうだから、できてきたつもりだが、専業でこれをやるのがどれだけ大変かということを痛感。

 そう、専業でやるからには独身男のようにぞんざいにはやれない。それなりのクオリティが求められる。となると、かなり大変だよね。

 今では、ワークライフバランスとか言って、女性も働くのが当たり前になってきている。なるほど、企業等が・・・マルクス経済学的な用語を使えば資本家が、昔ほどお金を男に落としてくれなくなったこともあり、男女同権の概念を転用し、女性は家事も育児も仕事もってことになってしまいがちだ。

 私は男の中では家事をやる方だが、妻が働いていた頃は、妻にやはり負担が行ってしまった。というのも、どうしても、男の家事のクォリティ水準は低いものだから、私はいいじゃん、今日は洗濯はさぁと言っても彼女としては満足できず、洗濯をする・・・といった感じだし。

 だから、お金がないから、女性が働きに出ると、いかんせん女性に負担が行きがちで大変になる。

 それはあまりよろしくないなぁと思うのである。

 私は、いわゆる「飲む・打つ・買う」はほとんどしない。だから、お金を使わないから、倹約に協力するから君は働かなくてもいいよというスタンスにして今に至る。

 でも、世の中、ワークライフバランスとか言っておる。
 仕組み的に女性が働けるようにするから女性も社会へってことだろうか。
 結構余計なお世話である。消費を抑えれば、資本家がお金を昔ほど落としてくれなくてもなんとかやっていけるのにさ。

 そもそも、思う。ワークライフバランスなどと声高に叫ぶ女史たちは、本当に仕事もばりばりやりながら、洗濯とかできているのか?

 昨日、自分の下着とかさ・・・無数に洗濯ばさみに挟みながら、いくら社会の仕組み作りをしたって、こういう作業は決して減らないし、ひとたび世に出ればストレスの塊の中で、このシャツ一枚カビを生やさないようにがんばれるかって・・・できないでしょって思うのさ。

 まぁ、今の世の中では流行らないんだろうけどさ・・・そう思うんだわさ。