今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

空間の外部化という考え方

 もう10年程度前になろうか、かなり前に大学院にインターネットと家族論について学びに行っていたことがある。インターネットとかウェブ論とかは自分の興味と合致した分野であったし得意分野ではあったが、その時師事した先生が、家族論にも興味があった方だったので、そのへんの文献も読み込んだりした。

 その時、家事の外部化という概念に触れ、とても納得した思い出がある。

 家事の外部化とは、例えば、家事として家庭内に内在して負担の大きい洗濯や炊事を、外部サービスに委託する・・・すなわち外食をするとか、クリーニングに出すとか、お金で自分の家事負担を減らすということを指すわけだ。
 なるほどぉとしっくりくる概念ではなかろうか。

 そんな中で、お金を払って外部化することで、庶民にもたらすメリットってなんだろうという考えをすることが多くなった。

 今まさに、千葉県は房総半島にあるあるスーパー銭湯の休憩室でだらだらしているわけだが、過言ではなくウサギ小屋である私の家では得られない広い空間がそこにある。

 あえて、その広い空間を求めて入場料を払っているわけであるが、先の家事の外部化という概念に倣えば、空間の外部化というべき状況であろう。

 自分の家で広い空間を求めるとなれば、マンションを買うなり、家を買うなり、通常の庶民は莫大な借金を背負うことになる(親は資産家とかで援助を期待できるとなれば別であるが・・・)。
 賃貸で大きな部屋を借りれば、家計のバランスシートが一気に悪化することも自明である。
 だからして、お金をそんなに使えない庶民は、広い空間が得られず、ウサギ小屋と揶揄される日本の居住環境が生まれるし、それは私のところも例外ではない。

 だから、たまには、広い空間を得ようとスーパー銭湯の休憩室というところに来たりする。

 空間を一時的な費用で買うという、空間の外部化の一例ではないかと。
 また、旅行に出て、広い部屋に泊まるというのも空間の外部化の一部であろう。

 空間の外部化・・・それが適度な一時的費用にとどまるものであれば、庶民にとっても有効な手段と思われる。

 スーパー銭湯の休憩室が混み合っていたりすると十分にその目的が達成されない部分もあるし、さっきまで子どもが走り回っていたりして、そう、目的が達成されていなかった部分もあるのだが、今は結構快適。