今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

暗さは怖さで、暗さの克服を考える 〜計画停電に思う〜

 さて、週末などは計画停電が実施されていなかったが、最近は行われてきていて、停電にも遭遇してきている。
 でも、仕事に行っていたり、昼間だったりしたせいで、家にいる妻からは停電が始まったことを聞いたりしていたが、まぁ、帰ってきたら停電は終わっていたりして、停電を肌で感じることはなかったが、今日帰宅時に自ら停電に出会って、どきりとした。

 日が長くなってきたとはいえ、だんだんと薄暮れていく中歩いていたら真っ暗になってきた。

 これは非常に怖い。皆が早足で帰っていた意味がわかった。


 暗闇・・・これはやはり怖い。

 原始、人間は闇を克服するために火を起こしたと言われるが、その意味はわかる。暗闇は生命の危険を感じるからだ。

 それは別に教科書で習ったお題目としてわかっているわけではない。

 死ぬかと思ったワインディングロード徒歩で踏覇、湘南平 - 今日の一語り(はてな Ver.)

 なんか、どっか出かけようと、妻を連れて景色のよい湘南平という山っぽいところに行ったとき、着いたときにはかなり暗くて、本当の真っ暗闇の中をえっちらおっちら登ったことがある。這々の体でてっぺんまで行き、夜景の絶景を見ることができたのだが、妻とともに命の危険を感じたところである。ちっちゃな懐中電灯は持って行っていたのでなんとかなったのだが。

 今日も最終的には妻が持たしてくれていたちっちゃな懐中電灯を活用して帰った。

 陽が昇るともに起き、沈むとともに寝るという原始の時代に戻れれば別であるが、現代のシステムはそうは簡単に変わらない。というか、仕事から帰れないでしょ(^-^)

 その意味でも計画停電というのはなかなかにやっかいだ。

 今度の夜間停電は、どこか圏外のファミレスに食事をしに行くぞとか思いつつも、私は勉強、妻は読書で3時間というとさすがに迷惑な客だろうか。外に列ができてしまったら出ざるを得ない気分になろう。

 暗さの克服から考えねばならないのは、原始の時代と変わらないかもしれない。むぅ。