今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

回らない寿司に入るということ

 先日、南房総に行った時に前々から行ってみたかった千倉の大徳家というお寿司屋さんに行ってきた。

 こちらから行くと、南房総の先っぽ、千倉の方であったりするとどうしても14時とかお昼時間帯を大きく過ぎた頃にあちらに着くことになったりするので、けっこうな店が昼休み時間帯になっていたりするので、比較的選択肢が狭まったりするものだが、大徳家さんも昼休み時間帯があるのでなかなか行けなかった次第であるが、今回は間に合った。

 しかしながら、間に合ったというくらいで、メニューの検討を事前にしておらず飛び込んでみて、さぁどうしようかとメニューを見渡して・・・うーん、ここはもしかして気軽にランチ気分で入ってしまっていいところだったのだろうかと思ってしまうくらい高級感があったところで、当惑した次第。

 ちらしか握りか迷ったけれども、名店であれば握りをいただきたいと・・・握りの並を頼んだ。1050円で一番安いものであったのだが。

 かなり美味しかった。通常、東京とかでは1050円でこの木の板に乗ったものは出てこないし、握り方が非常に繊細でプロの技を感じさせてもらった次第。

 おまかせ握りを頼めばよりゴージャス感が出たと思うのだが、3000円くらいするわけで、ちょっと予算オーバー。二人で6000円くらいとなるとなにぶん・・・。

 そのような当惑感を抱えながらいただいてしまったのはとても申し訳なかった部分はあるのだが、それでも、一番安いものを頼ませていただきながら、初来店クーポンを使わせてもらってお土産のペットボトル2本をいただいたり、サービスのお椀のお吸い物をつけてもらったりしたのでとてもうれしかった次第。

 やはり、回らない寿司に入るということは、入る方にもそれがための気合いを求められるものなのだということを実感。

 私の好きな小説家に志賀直哉さんがいるのだが、小僧の神様 というものを思い出させられた。

 あらすじは次のブログに詳しい。

寿司への憧れ・「小僧の神様」志賀直哉 - はっぱのきもち

 私の今回の心境、小僧さんがお金を握りしめて入った寿司屋での当惑感・・これに近かったかも。

 今も昔も回らない寿司屋は覚悟が必要ということでしょうか(^-^)