私が大学生の頃だった。阪神・淡路大震災があったのは。
同級生に近畿圏の出身者も多くいたため、他人事には感じられなかったも事実だが、身体で感じていないのはあったので、それは同情以上のものではなかったのかも知れない。
しかし、それからずいぶん経って、3・11の東日本大震災は身体で感じることとなった。
物資の不足、パニック、停電、計画停電というなにか戦中の理不尽な協調圧力に似たものも身体で感じた後は、やはり、災害に関して身体で感じた。
しかし、津波被害が直撃したところとかではなく、家も無事だったので、まだまだと言えばまだまだ。
先日、愛する千葉県は房総半島の旭市に行ってきた。
旭市は千葉県でもかなり津波被害を受けて、人的被害も出たところと聞く(災害関連情報:旭市)
いまだその爪痕が垣間見える部分はあるが、それでも復興に向けてがんばっているのがよくわかった。
旭市にいい温泉があると聞き行ったわけであり、また、食事もおいしい魚介をいただいた。
そうやって、そこにお金を落とすことも一つの復興支援かと思うのだ。
阪神・淡路大震災の起こったのが今日。それから19年が経ったが、旭市を先日訪問したことも合わせて、災害を思わざるを得ない。
先日行った時に撮った、旭市の飯岡港を臨む刑部岬からの夕陽。とてもきれいであった。ここは夕陽が綺麗な場所として有名らしい。
飯岡漁港は以前銚子に行った時にも来た。そこを見下ろす刑部岬は今回初めて来たが、すばらしいところであった。
しかし、次の映像にあるように津波が飯岡漁港を襲うのを記録した地点でもあった。
津波の被害者を悼みます。