今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

屋根のない病院に行ってきた

さて、連日暑い。暑すぎて、コロナ禍でマスク着用が推奨される中、マスクをしてたら熱中症で倒れるからと十分離れてマスクを外してということも言われていたりする。痛し痒しというのはこういうことじゃないか。

 

ほんの少しだが、昨年気象学を学んだ。学んでいくと地球温暖化が止まらぬのも分かった気がした。オゾン層の穴も大きくなり、二酸化炭素濃度が右肩上がりで上がっていることを思えば、地球温暖化が進みそれに伴う異常気象が毎年のように起こり異常が異常じゃないという状況が分かった気がしたのだ。

 

幼少時、クーラーが家になかった。引っ越しをしてクーラーが家についたが、滅多なことでは使われることはなかった。電気代がもったいないとのこと。締り屋の両親だった。真夏日とかもそんなになく、猛暑日なんて言葉はなかった気がする。

親元を離れてひとり暮らしを始めてもクーラーはなかった。勉強していてノートがしわしわになってしまって難渋したことをよく覚えているし、レポートがしわしわだと格好悪いので、図書館に行って清書をしたということも思い出す。

 

しかし、今は我慢でなんとかなるレベルは超越してしまって、クーラーが当たり前の生活になってしまっている。

私が生きてきた中でも、地球温暖化というのを肌で感じてしまうくらいだとなると、そのすさまじさを感じざるを得ない。

 

最近も、昔に増しての酷暑である。そんな中、日本で一番伝統のある避暑地である長野県は軽井沢に行って来た。

 

軽井沢が避暑地となったのは、明治時代にカナダ人宣教師が東京の酷暑に耐えかねて、たまたま訪れた軽井沢の地の冷涼さに惹かれて開拓したのに端を発すと言われる。

その冷涼さ、清冽な空気に、そのカナダ人宣教師は軽井沢を「屋根のない病院」と称したとされるし、その後、結核サナトリウムも設けられ、作家の堀辰雄さんが療養したことでも知られる。

 

この酷暑の中の軽井沢、確かにその冷涼な気候は素晴らしかった。

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クーラーなしで涼しいという感覚、これは首都圏では得がたいものである。

ブルジョワ感がある観光地というイメージで苦手なことには変わりないが、さすが、日本を代表する避暑地であることは明々白々だなと実感してきた次第。

 

この異常気象が常態化し、酷暑が年々ひどくなってきているような中では、確かに、今でも軽井沢は屋根のない病院だなぁと思った次第。