何かかからないかなぁと竿先を凝視してじっと待つのが釣りである。
風雨に耐えながらじっと待つ。それが釣りの基本。
コロナ禍でリスクの少ない遊びとして流行っておる今、そんな釣りのイロハのイも知らずに、我が子に釣らせたいからと、釣れている私の横に幅寄せしてきて、グループで挟んで、年端も行かない子どもに投げ釣りをさせたり(釣りは針というある種の凶器を使うものであるから十分に安全が取れる技量を持たねば投げてはいけないのは言わずもがなであろうに)することはもってのほかで了見違いも甚だしく、極めて不快に思ったものだ。子ども子どもって子どもにご機嫌取る前に人に危害をあたえないという人間としての基本、釣りは耐えて待つものだと言う釣りの基本のキを教えるべきだろう。
だからこそ風雨に耐えてじっと待っていて竿先を揺らしてくれて釣り上がってくれた魚にはありがとうという気持ちになり「釣れてくれてありがとう」という 語りを書くことは多い。何度か見てくれた方もいよう。
さて、今朝は荒天で雨装備で文字通り風雨に耐えながら竿先を眺めていたら、たまに揺れる。なんかいつもの「釣れてくれてありがとう」常連のコノシロ っぽいなと思って、また一回釣りかけて針外れ、ばらしてしまった。
さて、また、竿が揺れた。はいはいコノシロ かなと思って巻くと、なんか違う。コノシロ よりは引きが軽いか。まさか、アジ?ほとんど釣れぬアジが釣れたかと色めき立つも。
フグでしたね。なんか少し大きい。そして少し可愛い。
でもさ、釣れてくれてありがとう、なのだが、そうでもないかも。食べられないじゃん。
食べられないのはちょっとなぁというのが私スタイル。