今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

チューリップ「青春の影」に涙ぐむ ~コロナウイルスの高熱と共に~

 先日、コロナに倒れて苦しんでいたのは前述の通りだ。
 まぁ、私は若い頃からよく大きな発熱をしてきて、倒れてきた。免疫学の基礎を学べば、発熱はそう悪いものでもないと考えることができる。その熱で体内のウイルスを駆逐せんとしている動きであるからして、旺盛な免疫力の裏返しとも言えるからだ。だから高熱であればあるほど免疫がウイルスを駆逐せんとがんばっている証左だ。
 しかして、当の母体たる私は体温40℃とかが下がらないとなると苦しくて仕方ないということになる。
 今まで色々な感染症に感染し、高熱という旺盛な免疫で打ち勝ってきたのであるが、今回のコロナウイルスは、いやー、冗談じゃなかった。今までは解熱剤をもらって寝ていれば、まぁ、回復してきたものである。しかし、コロナウイルスの場合は解熱剤がなかなか効かない。汗もかけない。体温が下がらない。40℃近い体温が持続するわけで、私の身体はたまったものじゃない。それだけ強力なウイルスなんだろう。恐れられるだけのことはある。
 ここまで高熱が続くと、寝るに寝られず、苦しいばかりという地獄絵図になってくる。寝られないのであれば、テレビでも見ていればと思うも、テレビを見る力もない。本を読むなんてとんでもなく、立ち上がるのも四つん這いになってからという、繰り返しにはなるが、まさしく地獄絵図であった。
 まぁ、それはそれで苦しいので、気晴しに枕元に置いたタブレットから音楽を流したりラジオを流したりしていたのだが。

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で語ったように、フォークソングバンドのチューリップ(TULIP)の「青春の影」がいい歌だなぁとこの前思ったので、それを聞き直したりしてみた。

 チューリップ、言わずと知れた財津和夫さんが有名なフォークソングバンドであるわけだが、1972年生まれの私にとっては私が生まれた頃にデビュー活躍したバンドなので、リアルタイムにその歌に傾倒するということはなかった。後で聞いていい歌だなと思う感じだ。
 もともとはチューリップはその代表歌たる「心の旅」が好きだった。青春時代を宮城県は仙台で過ごしその地からの別離を経験した身として、「あー明日の今頃は僕は汽車の中♪」という歌詞は非常に自分に置き換えられて好きだったのだ。仙台を去る時に見送ってくれた友との思い出と共に。

 さて、「青春の影」に話を戻そう。
 先の語りで語ったNHKのど自慢で歌っていた高齢者に近い、もしくは高齢者であろう歌い手について描写したい。きっと、定年退職者であろう。静かに歌い始めた「青春の影」、明らかに今まで苦労をかけた妻への思いがあふれていた。多分、その男性はこのフレーズを強調したかったのだろうなと思った。
「自分の大きな夢を追うことが今までの僕の仕事だったけど♪」に続いての「君を幸せにする それこそがこれからの僕の生きるしるし♪」
 素敵だと思った。鐘は二つだったけど、特別賞を取って、妻に語りかける男性の言葉に客席の奥さんも非常にうれしそうだったのが印象的だった。

 うだつの上がらない中年たる私、「自分の大きな夢を追うことが今までの僕の仕事だったけど」と言うほどには夢も追えてこなかっただろう。しかし、「君を幸せにする それこそがこれからの僕の生きるしるし」という点では、妻と一緒になって十数年、妻中心に生きてきたのは事実だ。ここでも「妻が妻が」と語り続けているとおり。

 熱でうかされながら「青春の影」を聞いていて、最後のフレーズ「今日から君はただの女 今日から僕はただの男」、そこで涙ぐんだ。普段涙ぐむなんてことはないのだが、高熱で弱っていて、ほろっと「ただの男」でいいよねって思えたんだと思う。

 別に幸せにするなんてことができていると思わないし、できるとも思わない。そんな想いがあふれてくると、妻に問いかけてみる。
 「君を食わせてきたよね?」
 それだけ聞けば傲慢不遜な言葉も、今回のコロナ熱でふらふらしていてパンツを履き替えようとしてよろけている私にパンツをはかせてくれた妻には別に気になることでもないらしく、「うん、食わせてくれているよ」と返してくれる。
 それでいい・・・「妻と一緒にいるただの男」になれた。うだつはあがらないけど、それでいい。私の「青春の影」の解釈はそういう感じ。