今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

心理的食欲という概念と僕の減量体験

 心理学においては心理的時間という概念がある。
 例えば、遊んでいたりデートしていたりという楽しい時間はあっという間に過ぎるが、仕事や授業など意に添わない時間は長く感じるということを指したものだ。そう、心理的時間と物理的時間は違うのだということを指す。

 なるほどな、それはそうだと思わされるところではないだろうか。
 要は時間感覚は高度に心理的なものであるということ。

 しかし考えてみると、食欲も高度に心理的であると言えないだろうか。
 例えば、ストレスがたまったりすると食べに走る人も多いと思う。仕事でいやなことがあったら、デザート食べ放題に出かけて思いっきり食べるということを習慣にしているOLさんというのもよく聞く話だ。
 失恋したら食欲がなくなるということも、実は私自身実感として体験していることであるが、そのようなことを思い浮かべるに、食欲という生理的なものが、実は、かなり心理的なものなのだなぁと実感できるところだろう。

 だから、生命維持のために必要なエネルギー摂取という意義あいの生理的食欲とは別に「心理的食欲」というのがあると思うのだ。そう、物理的時間と心理的時間の違いと同じように。

 私の場合はストレスが溜まると食べたくなる、仕事でいやなことがあっても食べたくなるし、むしょうに寂しくなっても食べたくなる。心理的にマイナス状況だと、食欲はプラスという反比例関係なのだが、例外は失恋状況の時でこの場合は心理的なマイナスが食欲でマイナスになるのだ。

 心理的な不快体験を、自分の好きなものを多く食べるという身体的状況の快体験で補完しようという一種の防衛機制と解釈もできるし、それはそれで結構なことでもあるのだが、往々にして必要量以上のカロリー摂取に繋がり肥満などを招いてしまう原因にもなるのが問題である。

 まぁ、僕も一人暮らしを初めてした時はその寂しさから食べてしまいかなり太ったという経験を持つ(74キロ/180センチやや肥満といったところ)。いったん太ってしまうとなかなか痩せがたく、そして、社会人になり仕事を始めるとストレスが増え、太ったままで来たが、今年になって、痩せて昔の体重に近く減量することができた(68キロ/180センチ、やや痩せ形くらい)。

 要は、社会人として働いていくとどうしても発生する心理的不快体験を食べることによる快体験以外で昇華・補完すればいいわけだと考えて、運動を始めたのだ。運動といっても苦しさの多い運動では心理的不快体験を昇華させ得ない。そこで行き着いたのがエアロビクスだ。もともと音に合わせて身体を動かすのが大好きであったらしく、運動の中でも全然楽しめてやれたのだ。あとは水泳、これもなかなか性にあって楽しい。
 心理的不快体験を運動という食以外の快体験で昇華させるということによって減量し得たのだろう。

 でも、運動を始めたのは今年に始まったことではなく、昨年はマラソンだった。でも痩せなかった。マラソン大会にも数度出て10キロ走ったりもしたのだが。その理由は私にとってマラソンが運動の中では楽しくなくてどちらかと言えば苦しいという不快体験の方が勝ってしまったからだろう。だから、心理的不快体験を昇華させるどころか増やしてしまっていたであろうから、食欲は減らなかったのであろう。

 今回の私自身における減量成功体験は肥満という身体的なことを心理的側面から分析したことに起因するだろうが、要するに、人間って高度に心理的な生き物なんだなぁと改めて感じたわけで。