今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

だって、もったいないじゃない、食べられるのに悲しいじゃない・・・テラ豚丼騒ぎに思う


 昨日、スポーツクラブに行ってトレーニングをしながら、午後6時台のニュースを見ていて目にとまったのが、「テラ豚丼」騒動。


 要は、吉野家店員と推定される者が業務時間中に、他社のメガ牛丼に対抗して、盛りに盛った豚丼を作っているのを携帯動画で記録し、動画投稿サイトに投稿し物議を醸し、吉野家が謝罪文を出したという騒動である。


 なんか悲しさを覚えた。


 なぜ悲しいか・・・私はご飯お代わり自由とか大盛り無料とかに安心感やうれしさを覚える、食べること大好き人間だからだ。


 だから、その動画を見てまず思ったのは、すげぇという感覚である。どうせ食べきれないのだろうけど、そこまで盛られるとワクワクしてしまうのが食べること大好き人間のさがである。先日も、激盛りの店に妻を引っ張って行って来たくらいだから・・・おぉと思ってしまったのだ。


 しかし、その次に去来したのが、そのテラ豚丼は多分誰に食べられることもなく捨てられるのかなぁという悲しさ。


 確かに、品質管理上、作った料理もある一定時間が経過すると捨ててしまう部分が出ることは必定であろう。


 それを捨てずに、売ってしまえば、さっきのマクドナルドでの売れ残りサラダの調理日時シール張り替え事件につながるのだから。


 和製ファーストフードたる牛丼屋で客を待たせることは一番避けられるべき課題であろうから、足りないよりは作りすぎる方がよいという考えが先行するであろうから、捨てなければならない部分がかなりたくさん出るであろうことは素人考えでも容易に想像が付く。


 その意味で、そのテラ豚丼を作ったそういう捨てる部分を使って、テラ豚丼を作ったのだからいいじゃないかという考え方もあるのかもしれない。


 でも、悲しいんだよなぁ・・・捨てられてしまうのが。


 ところで、小さい頃、ハンバーガー店に行くのが楽しみだったんだよね。なかなか連れて行ってもらえる場所ではなかったから。


 でも、それこそファーストフードの元祖たるハンバーガー店では作って一定時間経った商品は廃棄するということがある程度公然の事実であろう。


 でもね、それを目の当たりにしてしまったんだよね。小さい頃ね。店員が私の視線の先で、ハンバーガーを何個も一気に捨てているのを。


 見えるところでやらないでくれというのが私の切なる思い。


 なんだったら、私がいただきますから・・・とその時切に思ったものだ。


 今回のテラ豚丼騒ぎでその思い出がよみがえってきてしまった。


 確かに、いかに捨てる豚とはいえ、食べ物を遊び半分に使って、それを公に公表したことは、倫理上許されないことかもしれない。そこが今回の騒動で非難が集まった点である。


 それはもっともであろう。


 それとともに、もったいないじゃない・・・食べられるのに悲しいじゃない・・・そんな思いが僕の胸に去来したのだ。


 いや、それ、僕に食べさせてくださいとさえ思ったのだ。ちょっと塩分過多な気もするけど・・・・うん。