今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

人間なればこそ逸脱するのだ

さて、今日も喫茶店に寄っている。ドトールね。

好きだねぇ、という声も聞こえてきそうである。
まぁ、好きなのであるが、ドトールのアイスコーヒーが極めつけうまいから寄っているわけでも実はない。

 今まで、冷房もよく効いているしとかスペースがとかの理由も挙げてきたが、それが寄り道の動機の本質ど真ん中か?と言われれば否である。

 こう蒸し暑いと冷房を付けなければ具合を悪くしてしまうくらいであるから家では妻が冷房で冷やして待っていてくれるだろう。パソコンデスクだって開けてくれるからスペースが必ずしも少ないわけでもない。

 となると、どうしてよくドトールによるかと言うと、要するに寄り道したいからということに尽きる。

 やさしき妻の待つ我が家にまっすぐ帰るのがもっとも合理的な選択であるが敢えてそれから逸脱する寄り道をすることをしたいわけだ。

 ま、それが人間ってものだろうなぁって思う。無駄なく生きようなんてずいぶん推奨されているけれども、毎日毎日型にはまったように規則正しく生きていくなんて息が詰まるでしょ?

 もちろん、企業なり国家の生産性のためにはそういう生き方が理想なわけだから、学校教育の裏の目標としてそういうような型にはまった生き方を学生に強いる。こと義務教育たる小中学校であれば思い出したってそうだったとわかっていただけるだろう。
 多分生産性のためには感情を持たず、数学的に生産性の向上に最も合理的な選択をしつづけるロボットが最もいいのだろう。

 しかしね、人間には感情がある。型にはめられると逃げ出したくなるような心理機制が働くものだ。

 だからね、僕は小逸脱は人間としてあった方がいいと思うんだ。
 小で済んでいるうちはガス抜きでちょうどよい。大に至らないためのね。

 そんなわけで僕は今日も小逸脱たるドトールにいる。

 あ、妻から電話が来た、いつ帰って来るのかと。今日の小逸脱はこれで終わりだ。