今日の一語り

しがない勤め人、大津 和行(かず)、のキーボードから紡ぎ出される日々語り

今帰仁城跡に琉球の歴史を感じた

 沖縄旅行、2日目、美ら海水族館を見た後に、さてどこに行こうかと・・・美ら海水族館のある本部町のお隣に今帰仁村というところがある。今帰仁は「なきじん」と読むとのこと、いかにも沖縄的だなと思ってみたりする。

 そこに今帰仁城跡というのがあり、とても興味深かったので行ってみた。
 というのも、私は日本の城郭には以前はとても興味があり、色々な城に行ったりした。成人してからはそこまで興味はないにしても、城跡というのはなかなかに興味深い。そして、よい景色だということで妻も興味を持っていたので。



 なるほど、ものすごくよかった。高台にあるので、景色がよいことはもちろん、石積みがなかなか特徴的であった。ここ今帰仁城跡は、琉球が、南山・中山・北山と別れて争っていた時代、14世紀頃の北山の城であるとのこと。まぁ、日本本土で言えば、戦国時代みたいなものかなと理解できる。
 尚巴志により琉球統一がなされるまで、かような城・・・城と書いて「グスク」と読むそうだが・・が乱立したようだ。その中のひとつの城。

 でも、見てすぐに分かるように、日本の城郭とは大いに違う。そう、中国大陸の万里の長城を思わせる曲線であるし、実際、この頃は中国との交流の方が多かったようだ。
 また、ここでの説明書きを読むに、琉球の歴史は中国の史書をひもとくらしく、そう言えば、日本の史書には琉球の歴史は出てこない。 
 琉球と日本の接点は、1609年に薩摩が琉球に侵攻するころからのようであることが分かったりした。

 なるほど・・・要は、沖縄は中国と近しい部分が歴史的にはあるのだろうとよく分かったのである。
 琉球史というのは、まぁ、日本史か世界史かというと、どちらかと言えば世界史であるなぁと感じて、沖縄にはエキゾチックなものを感じて行く人も多かろうが、それは、その後のアメリカ統治時代があることもあろうが、やはり、そもそも日本というより外国であったという感が、この城跡を見て思った次第。どう見ても、日本の城郭ではなく、万里の長城的だもの。